燕 第一話




序章

 

 「行ってきま〜す」

元気な声を張り上げて少女は出かけていった。父親は上半身をこちらにひねって手を振っている娘を笑顔で見送る。そんな娘の姿を見送るのは彼にとってはつい笑顔を隠せないほどの幸せの象徴だったからだ。

 「今日も元気そうですね、時雨様。」

竹箒で玄関前の木の葉をかき集めていた使用人である青年がつぶやいた。

 「ああ。」

少女の父親、藍鳥時雨は答えた。

「だが本当は、まだつらいのだろう。彼女も精一杯自分を元気で保とうと必死なのだよ。ああして、毎日近場の子達と遊んでいるのを見ればなおさらだ。だが、それでも燕〔つばめ〕が元気であるならば私は十分さ。幸せだ。」

 

 「みんなー!」

少女、藍鳥燕は声を上げながら仲間達の下へとかけつけた。ふと辺りを見回して言う。

「あれ、太一は?」

 つぶやくとその場の女の子が答えるより早く誰かが燕の足首をつかんだ。

「きゃ!」

燕は叫び、ふりかえりながらしりもちをついた。見ると地面の上に積もった木の葉がもこと膨らんでわずかに動いていた。足首をつかんでいた手の持ち主は木の葉を宙に撒き散らしながら飛び出した。

 「があぉぉぉー!」

両腕を上げて手の主の少年は立っていた。

 「きゃぁぁ!!」

驚いて思わず燕は顔を両手で隠してしまった、がそっと手を地面に下ろした。

「はっはっはっはー、どうだ燕。これが木の葉の舞だ!」

少年は叫んだ。友達の周りで、かつ飛び出してきたのも友達だったので少しばかり恥ずかしかった・・・。

 「はははは、燕も怖がりだな。」

周りの少年の一人がつぶやいた。

 「もう、太一ちゃんそんなことしちゃダメ!」

少女が一人たしなめた。

 「そうよ、それに文四郎ちゃんも馬鹿にしたら駄目よ。燕ちゃんは女の子なんだからー。」

続いてもう一人の背が高めの少女が燕のところへ駆けつけて言った。

 「悪い悪い。」

さわやか少年の文四郎は頭を下げながら燕に手を差し出した。燕は照れ隠しするように顔を低くして手をとった。

 「燕ちゃん、着物汚れちゃってる。」

背が高い方の少女が燕のお尻をはたいた。

 「きゃ!」

また声を上げた燕に一同は笑い、燕自身は赤くなった。

 「ごめんな、燕!」

太一が頭をかきながら言った。燕は笑って許した、笑って。



 「昨日さー、じいちゃんが話してくれたんだ。忍者っていうすんごい奴がいるんだってさ。」

太一が興奮して説明した。所変わって村の通り。

「何でもいろんな術を使えるらしくてさ、さっきの木の葉の舞もその一つなんだぜ。」

 「にんじゃ?」

燕が尋ねた。

 「何それー?」

さきほどの少女も尋ねた。

 「たしか・・・」

文四郎が答えた。

「主に仕えて色々と情報を集めたり、身代わりになったり護衛をしたりする人です。基本的には表舞台には出てこない、いわば人に知られない人達ですね。」

 「さっすが〜文四郎ちゃん!」

少女が褒めた。

「すごい・・・。」

燕も感心した。

「いえいえ。僕も太一君と一緒におじいさんから話を聞いたまでですから。」

「そしておいらはその忍者になるぞ!」

太一は握りこぶしを見せた。

「なんたって、忍者は何よりも強いんだからな!」

「強いって?」

「負けないって、ことかな。」文四郎は燕の方へ顔を向け答えた。

「主のためならどんなに過酷で辛くても、それに負けない、そういうことかな。」

「またまた太一ったら、強くなんてなって何するのよ?」燕の隣に腰を下ろしている先程の少女が呆れたかという素振りで尋ねた。

「皆を守る!そんでもって悪い奴をやっつけて、やっつけてやっつける!!」そういって腕を振るって見せた。

「おい小僧!」

後ろから鋭い声がかかった。皆驚いて腰を抜かした。振り返るとそこには一人の中年の男が立っていた。

「悪いやからをやっつけるじゃと・・・?」

「い、いや、その・・・」

太一は怖気ついて返事にもなっていなかった。

「悪いやからをやっつける、そう言ったんじゃろ?答えろ!!」

怒鳴り声に泣きそうになる一同。

「は、はい!!」

太一がやけくそに答えた。すると男は覗き込んでいた顔を引っ込めて言った。

「よろしい!」

腕を組んで言った。

「悪いやからは全て、皆この地上から消しさらなきゃいかん。やっつけてやっつけてやっつけろ!容赦はいらん。全員、」

そして男はまた顔を覗き込ませて強調して言った。

「ぶっ殺してぶっ殺してぶっ殺せ!」

そこまで言うと半身を翻して歩き始めた。

「童にしてはよい意気込みじゃ。」

とそう言ってから男は足を止めた。ゆっくりと振り返り、また怖いしわくちゃの顔を覗き込ませて尋ねてきた。

「ここいらで四人組の男を見かけなかった?たしかこーんな感じの模様がついた箱を持っているはずじゃ。」

男はいまいちわかりにくく両腕を回して表現して見せた。

「し、知りません。」

太一が答えると男は怪訝そうな顔で振り返って去っていった

 「ねぇ、忍者っていうのも、人を殺しちゃうの?」

少女が文四郎に尋ねた。

 「え、ああ、そうだね。そういうことになる。」

 「殺しちゃうって・・・誰かが死んじゃうの?」

燕が尋ねた。

 「ああ、そうだね。」

文四郎が燕の方を向き直って尋ねた。

 「駄目!」

燕は起き上がってよごれをはたきながら言った。

「駄目だよ、そんなの!死んじゃうって、駄目だよ。悲しいよ。誰かが悲しくなるから駄目だよ。」

 しばし物を言えなかった一同。気を取り戻して文四郎が答えた。

「ああ。燕ちゃんの言う通りさ。悪かった。」

皆燕の母親が数週間前に病死したのを知っている。この中では彼女が誰かが亡くなる悲しさを知っている。そしてそんな燕を励ました皆もまた彼女のその気持ちをしっかり理解していた。

「皆、一緒さ。」



 「じゃぁな〜!」

太一が叫んだ。

 「また明日!」

文四郎が手を振った。二人とも分かれ道を違う方向へそれぞれの家の方向へ帰った。ちなみに文四郎と太一の家はお隣だ。

「うん!」

燕も元気に手を振り替えした。

「ねぇ、燕。」

少女が尋ねた。

「どう想ってるの?」

「えっ?」

「とぼけない。文四郎のことよ。」

両腕を腰に少女が向き直って尋ねた。燕は真っ赤になって顔を隠した。

「へへ〜ん。まぁお見通しよ。たしかに文四郎ちゃんは一つ年上、頭もいいし見た目もいい。せっかくだし次のお祭り二人で行けば?」

「うん。ありがとう、ふくちゃん。」

燕はお辞儀した。

「気にしない気にしない。相変わらず照れ屋さんね、燕ちゃん。」

少女、ふくは笑って言った。

「ま、私はそんな燕が好き。」

夕日が二人の姿を照らした。

「元気になったね、燕。」

「えっ?」

「いや、その〜」

照れくさそうにふくは顔をそらして答えた。

「ずっと、今みたいな、明るい元気な、私の好きな燕でいてね!じゃあ!」

ふくはそのまま手を振って駆けて行った。



家が見えるところまで来ると東堂が駆けて来た。

「もう日が沈んでいますよ。さぁ、時雨様が心配なられる前に。」

東堂が付き添って、燕は屋敷の中へと入った。そこで箱を見かけた。何となく、午後出会った怖い男の人が言っていた印らしいものが記してあった。燕は二階の部屋に上がった。父上の部屋からなにやら話し声が聞こえる。邪魔しては悪いと燕は傍の机にある書物をあさって一冊読み始めた。だが・・・少しして眠ってしまった。



 燕は物音に目を覚ました。騒がしい。

 意識が半分朦朧とし、そのせいか寝ている間にかけられたふとんを無意識にどけ上半身だけ起こす。

 どたばた足音がする。父上が集まりをしている間からだ。大の大人がどうしたのだろう。

声も聞こえる。あまりうまく聞き取れず、目を凝らしながらそっと障子を一寸ほど開いて見る。

燕の眼は間も無くして見開き、閉じることはしばらくなかった。

最初はただ黒い人が舞っているようだった。目を細めそれを捕らえようとした矢先だった、「黒い人」の腕先から赤い何かがほとばしったのは。続いて人が倒れこむ。後は、次から次へと人が「黒い人」に近づいていったのはわかった。その後は・・・同じ光景が続いた。だがそれすらわからなかった。ただわかったのは、赤い何かが何であるかだ。そして、それだけが眼窩に焼きついた。

すると向かいの障子を開いて東堂が駆け込んでくる。東堂は何かを叫び、「黒い人」に斬りかかった。東堂は剣の腕はかなりのものだと聞いている。だが、東堂は「黒い人」の腕の軌道にそって垂直に体から血を飛ばし、倒れた。

知人のそんな姿に燕は思わず目を閉じてしまった。怯えていると馴染みのある声が叫ぶのがかすかに聞こえた。目を開けると・・・父上が倒れた東堂の身を案じ東堂の傍に駆け寄っていた。



次の瞬間。

この瞬間。

彼女の全てが狂った。

父上が振り下ろされた「黒い人」の腕の前に倒れたのだ。背中を斬られ、もの凄い出血とともにのけぞり、そこにもう片方の腕が振り下ろされ、その腕が父上の体を貫通して地面に刺さった。









気付くと口が半分開いており、顔は硬直していた。体も。のどが、息がつまるのを感じた。

 燕は腰を抜かし、しりもちをつく。奴がこっちに来る・・・!目線をそらせぬまま後ずさりする。と、右腕が「何か」に触れ、右半身のバランスが崩れ無意識に振り向く。そこには・・・。

 案の定奴はゆっくりと近づいてきていた。黒い装束と覆面の中から覗く目は大きく見開き虚ろだった。その者には既に良識がなく、ただ殺気で動いていたことに気付けるものはもうその場にいなかった。 燕はただ奴が自分も殺そうとしていることを感じ取った。両腕で強く「何か」を握り締め、恐怖にすすり泣く。次第に足音が大きく聞こえ始めると同時に足音は遅く、鈍く聞こえた。 殺される!殺される!燕の絶対的恐怖が頂点へ達したその時、戸は両側に勢いをつけて開いた。その時、奴の顔が間から覗いた。その時、燕は無意識に、無造作に「何か」を抜いて両腕でそれを突き出した。 方向上方45度。奴の腹にそれは刺さった。奴の目は細くなり燕を見下ろす具合になった。燕は目を閉じており、何が起こっていたかわかっていなかった。

それの、小刀の重さに燕の両腕は耐えられず、刃は下へと沈み込む。奴は吐血し、燕の額に血が飛んだ。燕はゆっくりと目を開け、初めて状況を飲み込んだ。段々と頭がはっきりしてくる。両腕に刃が肉を裂く感覚が残っている。 と、その時眼下にうごめく影が移る。奴の腕が一旦頭上高く上ると、垂直に振り下ろされた。燕の前の床を突き抜く勢いでそれと同時に奴はかがみこんだ。勢いのあまり燕は叫ぶことすら出来なかった。奴は荒い変な呼吸をしていた。次に奴は小刀を右腹からゆっくりと抜いた。刃を抜ききると同時に吐血し、真下に染みが広がる。手で口を覆い、小刀を床に投げ捨てると立ち上がり、燕に一瞥をくれてから静かに去っていった。

燕はしばらく呆然とし、そして今一度辺りを見渡す。血、血、血。死んじゃった人、殺されちゃった人・・・殺された父上・・・。それらが目に入り、頭の中で暗示のように響く。そしてなにより・・・・・・・・・。燕は体を起こし両腕と膝で支える動物のような四つんばいの姿勢になって嘔吐した。そして咳き込んでから両腕で顔を覆い隠すようにして泣いた。吐いたものの上で泣いた。  そこへ足音が聞こえてきた。ふと、それが今大事が起きた間へと入ったとき、燕は顔を上げ見た。これから、彼女の人生の振り子が大きく揺れ始める・・・。



燕 序章 −完−






第二話:決心



―予告―



少女は母を失った。

少女は唯一の父も失った。

ただ残されたのは悲しみのみ。

差し伸べられし手を、少女は取る、

悲しみから逃れるために・・・



しかしその先で出遭うも、また悲しみ・・・



「強く・・・して!私を・・・忍・・・に・・・して!!」





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