燕 第二話:決意




第一節―――――



 少女はその晩のことを覚えていない。少女はその晩のことを知らない。ただ、知っていることは目の前で起こった惨劇と自分への悲劇のみ。そう、ただ知ることは・・・



 少女は、つばめはその晩、泣いていた。母親を亡くした時以来だろう、これほど泣くのは。というのも、母親を失くして以来、周りは彼女を悲しませんと気遣い、彼女自身もなるべく幸せに振舞わんと気遣っていたからだろう。つばめ自身、幸せでいたかった、これ以上の悲しみは嫌だった、だから極力明るく振舞っていた。悲しみから背を向けて。故に、彼女は悲しみに対して人一倍敏感だった。そしてその晩の出来事は、目の前で起きた惨劇は、よりいっそう彼女に敏感に伝わり、全身全霊、心の奥まで響かせた。

毎朝背を向けて母上のいない家を去るように、その晩は誰もいない家から背を向けて逃げるようにして去った。半分無意識のうちに傘をかぶった男について村はずれの山奥へとたどり着いた。男が足をしばらく止めなかったので彼女も足を止めなかった。また涙も止まらなかった。うつむいていたのと、燕の家は村の中でも恵まれた家系だったので村のはずれにあったため、その晩村を拝むことはなかった。

今は焚き火を挟んで男と向かい合っている。互いにここまで言葉を交わすことはなかったが男が口を開いた。

「強くなって、そして生き延びたいか?」

男の言ったことを理解した上でだろうか、少女は小さくうなずいた。

「そのためには・・・つらい試練や、厳しい日々を乗り越えねばならぬぞ。それでも来るか・・・。最も、今宵ほど乗り越えるのにつらい日はないだろうがの。」

焚き火の、かすかに風に揺れる炎の音だけが響く冷たい沈黙が続いた後、男は言った。

「忍、になって強くなりたいか?忍、とはなんだかわかるか?簡単に言えば、忍者という奴だな。お前さんも、聞いたことはないか?」

忍者。その日太一がつぶやいていた、『忍者になって、悪党をやっつける』と。母親が死んだとき・・・。今度は父親が死んだ。つばめは答えた。

「強く・・・して!私を・・・忍・・・に・・・して!!」



それから何日が経過しただろうか。やっとのこと屋敷の様な場所へついた。それは人知れぬ山奥にあり、まるで森と同化しているような、何故か不自然さすら感じられる。山道を歩いていて忽然と建物が見えてくればそうとも思えるだろう。ここまでの山道、さほど歩を止めるようなことはなかった。それは男が止めることがなかったからだ。これも試練かと思いつつ、つばめは必死に疲れを抑えて弱音を吐かず男の後に続いた。だが思い返してみれば、それほど道は険しくなかった。つばめは気付いただろうか、傘の男はあえて登り道を避けなるべく平たい地を選んできたのだ。そのため何日も経過してしまった。

そこは屋敷というよりは古さびた寺、または道場のようであった。周りにはその建物一つしか建っていない。しかもその寺自体、大きな間があるだけの簡素な造りだった。つばめは新しい物を観た少女らしく、それを興味げに観た。気付くと建物の傍に金髪の青年が立って素振りをしていた。すぐ目に入る位置にいたがその気配につばめは気付かなかったのだ。青年がその手に持っているのはいかついとも言える異形な武器だった。

「相変わらず真面目じゃの〜、リュウ。」

傘の男は微笑んで明るく声をかけた。

「百舌様、お帰りになられましたか。」

青年は素振りを止め、向き直って答えた。髪こそ金であるものの、顔立ちは日本人らしかった。それもとても美男子だった。

「新しく忍として訓練を始める、」

傘の男、百舌は燕の肩を叩いて紹介した。

「燕【えん】じゃ。」

「え・・・ん?」

つばめはつぶやいた。

「そう、前に言ったように、お前はもう昔のお前さんではない。今日からは、」

男は燕の顔を覗き込み、優しくも厳しくもとれる顔で言った。

「燕。」

「燕・・・。」

燕は言い返した。百舌はリュウに向き直って尋ねる。

「ところで・・・お前さんがここにおるということは・・・」

すると寺の床を拭いている少女の姿が三人の目に入った。少女は懸命に床を拭きながら、ふとその気配に気付いて顔を上げた。その時、燕と少女の目があった。少女は優しい微笑を返した。

「三月前、盗賊に襲われ身内を亡くした者です。私が連れてきました。名はユイ。」

リュウが紹介した。ユイはお辞儀した。

「では・・・」

百舌はリュウに告げた。

「燕と、ユイ。この二人を共に修行をさせよう。」






第二節―――――



「これからこの山がお前の住む場所となり帰る場所となる。お前は『燕』であり他の誰でもない。この山は『巣』と呼ぶ。」

燕は寺の間で一人百舌と対峙する形で座り、言われた。



修行。最初の半年は寺の掃除だった。最初の三月は床掃除、床拭き、その後の三月は寺の床下、屋根裏、そして屋根まで掃除することとなった。だが燕とユイはそつなくこなしてみせた。どうやら寺とは別に屋敷があるらしく、皆はそちらに居る。二人だけ寺に残され、修行の日々が続いた。最も、百舌は毎日二人の様子を見に来てくれた。

半年が経過した今、二人は柔軟体操を中心に修行を始めた。また同時に外では下駄を履くことを義務付けられた。さらに一月経過すると下駄は歯が一本の物となった。平衡感覚および反射神経を鋭くするための修行だった。



そして一年と三月がたっただろうか、燕とユイは初めて屋敷の方へと案内された。寺からは大した距離ではなかった。百舌いわく、正月の集まりなので二人も参加するといい、だそうだ。屋敷といっても一階建てだが、広さは身分の高い者の住まいと変わりなかった。

「お、誰だい、このおチビちゃん達は?」

陽気な声が掛かる。やはり声がかかるまで燕とユイの二人はその気配に気付かなかった。振り向くとそこには陽気に笑っている青年と物静かな青年が立っていた。

「こちらが、燕」

百舌は二人の肩を叩いて紹介した。

「こちらがユイだ。新しい仲間じゃよ。今はまだ修行中の身だがな。」

「くの一か。」

物静かな方の青年が静かにつぶやいた。

「我々の中では初めてですね。」

「厳密には・・・初めてではないがな。」

と百舌が答える。

「そっか、あの人もそーなんだよな〜、一応。」

もう一人が陽気に笑ってみせる。

「この方・・・達は?」

ユイが口を開いた。

「紹介しよう。左がセイ、右にいるのがコウじゃ。」

百舌が紹介する。

「ちっす、おチビちゃん!」

陽気な青年、セイが手を振った。

「ふったりとも可愛いね〜。」

そう言って彼は一人ずつ顔を覗き込んだ。

「ちょっと、そこの男ども!」

声が屋敷の通りから掛かる。

「手ぇ空いてるんだったら手伝いな。アタシ一人に全部運ばせる気かい?」

長く黒い前髪をたらした美しい大人の女性が食事の乗った食器を手いっぱいに持って、叫んでいた。

「ほいほ〜い!」

セイが元気良く手を振って駆けていった。コウも静かに後に続いた。

「はい、アンタこれ。コウはこっちお願いね。」

その女性は二人に素早く食器を渡す。二人は受け取ると、少々、重たいと言いたげな困った顔をして去っていった。すると女性はくるっと燕達の方へ振り向いた。

「アンタが・・・そうかい。アタシはアン、宜しくね。」

女性は軽く微笑んで言った。

「うちは野朗ばっかだからね、何かあったらアタシの所へ来な。ここの野朗どもはアタシに掛かればいちころさ!さ、これ、間へ持っていって。」

食器を差し出して言う。

「アンタ、名は?」

「ユ、ユイです。」

食器を両手で慎重に受け取りながらユイが答えた。

「さ、間はこの先まっすぐいった所さ。ま、皆集まってるしわかるよ。これ、早くリュウの席へお願いね。」

少しいたずらっぽい顔をしてアンはユイの肩を押した。

「は、はい!」

ユイが少々慌てて去っていった。

百舌は軽く笑いを上げてアンに言った。

「お前さん・・・」

言いかかったところでアンが遠い日を観る目でユイの背を眺めて言う。

「ま、話は聞いてるから・・・昔の自分を重ね観てみたかったのかな。アタシとしたことが。」

アンは長い髪を撫でてみせた。

「さて、こっちのアンタは、名前は?」

燕の方に振り向いて問う。

「燕、です。」

燕が落ち着いて答えた。

「よし!燕、アンタはアタシについておいで。台所から食事運ぶの手伝ってよ。」

「はい。」

燕が答えるとアンは燕の手を引いて台所へと向かった。百舌は暖かくそれを見守ってからユイが向かっていった間の方へと歩き出した。そこでリュウを呼び、尋ねた。

「朱雀はおるか?」



燕はアンに渡された食事を両手でしっかり持ち、一人屋敷の廊下を歩いていた。丁度日が雲に隠れ、音をたてずに風が吹き、静かに木の葉を揺らす。とても静かだった。燕が間へと歩を進めていると、前の方で戸が開いた。燕はふと無意識に出てくる影を見上げた。短い間だったが、燕がその影を認識し反応するまでの間はとても静かなひと時だった。燕の目の前に出てきた男もまたふと燕の方を見向き、そしてその目を大きく見開いた。二人だけの静かなひと時がその時流れた。その沈黙を破ったのは木製の食器を落とす音と燕の悲鳴だった。

「あれは・・・たしか燕、って子の声だったよな?」

セイが杯を片手にはしゃぐのを止めて言った。

「ただごとであのような悲鳴は上げないな。」

隣に座るコウが静かにつぶやく。

「燕・・・!」

ユイが心配そうな様子だった。

「やはり・・・。」

リュウと話していた百舌はつぶやき、燕の元へと駆け出した。



燕の表情は恐怖の色を増していた。あの晩と同じものだった。そして今目の前にいる男は、『黒い人』その人だった。返り血以外、あの晩と全く変わらぬ装束を着た、『黒い人』本人だった。凍りついた燕の体はしりもちをついた姿勢で動けず、ただ腕だけが震えていた。

「燕!ちょっと!落ち着いて、どうしたの?」

アンがすぐ後ろから駆けつけ、燕の肩をゆすって声をかけた。黒い人を見上げ、アンは言った。

「ちょっと、アンタ何かしたの!?」

そう言われ黒い人の隠れたその顔の表情はかすかに変わった、後ろめたいように。

「止せ、アン!」

黒い人が声にさっと反応して振り向いた先には百舌がいた。

「朱雀、先に間へ参れ。」

静かに命じられると、黒い人は躊躇し間の方へと去っていった。

「燕、落ちついて聞くのだ。」

百舌はしゃがんで燕に声をかけた。だが燕からは未だに恐れが去っていなかった。百舌はため息をつくと、アンが見守る中軽く燕の頬に平手を打った。

「なっ!?」

アンが驚愕の表情を示し、口を開きかけるが百舌の顔を見て、燕の表情を覗うと自然とその口は何も言わず閉じた。燕の表情は和らぎ、正気が戻ってきていた。

「燕、落ち着いて聞くのじゃ。」

百舌は優しく、ただし真剣な顔つきで言った。

「あの者の名は朱雀。お前の父親を」

そこまで言いかけるとアンは悟ったようにはっと百舌の顔を見た。

「殺した忍じゃ。」

そう言うと立ち上がり、振り返った。

「アン、後は頼むぞ。」

そう言って百舌は間へと引き返していった。

その日のことを、燕はユイに話さなかった。話そうとしないため、また燕があまりにもその日静かだったためユイも尋ねなかった。その晩、ユイが寝付いた後未だ一人寝付けずにいた燕は起き上がり、そっと戸を開けて外へ出た。冬真っ只中だが風は吹いておらずそれほど寒さは気にならなかった。というのも、山では季節の替わり一足早い上寒い。だが温度の変化にはだいぶ慣れた。修行が始まって以来服装は同じ物を着続けている、もちろん洗濯はしているが。そもそも燕は生まれつき体が強かったため風邪は引いたことがない上、寒さにも強かった。半月が大きく、そして綺麗に頭上に見えた。高地であるのと、寒さ故に空気も乾燥していていっそうはっきり見えた。燕は一人座り込み、月を呆然と見上げて思考錯誤した。しばらくしばらく思案した挙句、中へ戻ってユイの傍で毛布に包まって寝た。



第二話 ―続―







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