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燕 第十四話:飾り


 

第五節―――――

 

―隠れ家―

 

「あなたは・・・」

 

燕は顔をしかめた。闇夜の中、振る錆びた家の屋根の上で二人は互いを見つめ合う。

 

「やっと、会えたな・・・」

 

神無は喜無のような顔で言った。

 

「私は神無だ。覚えておけ。」

 

燕は相手の意外な言葉に困った。

まさか、燕達しか知らないはずの休憩所とも言える隠れ家に現れるとは。以前葉月と闘った場所と同じ場所だ。水無月との死闘から九日間。傷口はふさがったとは言え、万全な状態というわけではない。闘えないことはないが、目の前の忍の後ろにはもう一人、傘を被った只者のならぬ者が立ち伏せている。イスカが避けろと言っていた、文月という者に相違ないと燕は判断した。何故なら燕の一歩後ろに待機している朱雀も一行に動きを見せない。

実際、そこにいたのは文月その人であった。朱雀は知っていた、文月を。

 

「私と・・・勝負をしろ。」

 

神無は燕を睨むと一言そう言った。燕は息を呑む。二人の間に風が吹き、木々がざわめく。

 

「なんで・・・」

 

燕は尋ねた。忍は敵に弱みを見せない。燕はなるべく表情を変えないように努力をしたが、ユイとの会話中になんのためにとつぶやいた時を思い出してしまっていた。

 

「なんのために・・・貴方は、私と勝負するの?」

 

敵に話しかけるなど以前の自分では考えられない、燕はそう思っていた。“忍”だから。だが今は自分の中にある疑問が何なのか知りたい、その一心で燕は尋ねていた。

 

「何のために・・・」

 

神無は眉を細めると語りだした。

 

「“忍”として生を受けた。“忍”として育てられ、“忍”として生きてきた。“忍”として役目を果たすことだけ、それだけが私が生きている意味であり私の存在意義であると信じていた。そのためだけに日々修行を重ね、経験を積み、知恵を身につけ、苦痛に耐え、自由を捨て、人を殺して、女であることを利用し、我が身を主に委ねた。別に“人”として生きようとか、“人”らしく生きてみたいとか、その頃の私は役目を果たすためだけを求めそんなことは一度たりとも思ったことはなかった。“忍”だから、そんな理由一つで私は全てを捨てることができた。だからだ!だからこそ私は、お前を殺したら・・・」

 

神無は一旦間を開けて告げた。

 

「“忍”をやめる!」

 

風が吹き、沈黙が訪れる。神無は既にそれを先日師走につげた。

 

「フン、」

 

その場にいる者には聞こえないだろう声で文月は落胆の声を出した。

 

「(所詮その程度の忍か・・・)」

 

文月は神無の話がまだ続くであろうと踏み、手を組んだ。そんな動作であれ、朱雀は敏感に反応し、いつでも跳び出せる構えをとる。

 

「そうやって私は・・・」

 

神無は続けた、自分を哀れむような表情で。

 

「“自分”を偽ってきた。だが“忍”であっても私は“人”として生を受けたことには代わりない。“忍”として育っただけ。それだけだ。“忍”として、相手の感情を読み取る訓練を受けた。相手の目を見れば心理が見えてくる。実際、今の貴様は・・・」

 

神無は押し黙った。そう、燕の目は自分の中の悩みに対処できない、自分自身が潜り抜けたときと同じ目だ。神無は気にせず続ける。

 

「私の里は豊臣家を裏で支えていた。だが知ってのとおりだ。豊臣は滅んだ、徳川に敗北してな。気に喰わなかった徳川は私達を滅ぼそうと伊賀の忍を回して里を滅ぼそうと模索した。実際、徳川は表では良い面して、実際裏では自分に仕えない忍や武士を排除していたんだよ。だがそれで幕府が今形を保っている。皮肉な話だろ?」

 

燕にはまだ神無が言いたいことがわからない。だが辛抱して聞いている、彼女の話はまだこれからだと思って。

 

「(豊臣・・・なるほどな、)」

 

文月は話を聞きながら一人納得をしていた。

 

「(あの里の出身か)」

 

「それで私は、仲間を逃がすために囮という役目を引き受けた。別に仲間が惜しかったわけじゃない、“人”として一端に何か果たしたいと思ったわけでもない、ただその時その役目に適任だったのが私だったから。そして私はわざと捕らえられ、一週間も拷問を受けた。だが当時まだ十六であった私からは情報が望み薄と感じた徳川は私の身を素人に任せてな。しばらく好き勝手された後、私が死んだふりをしたら、捨てられて解放された・・・。でもね、それで娘ができちゃったのよ。皮肉よね、」

 

神無はまた皮肉と言った。さしずめ彼女にとって彼女の人生のほとんどは、今振り返れば皮肉そのものなのかもしれない。

 

「“人”らしく、愛して子供ができたわけじゃないのよ。そう、私は“忍”だった。“忍”であるという事実が私を支えた、私は考えようとすらしなかった。だから気にならなかったのよ。目を背け逃避すれば辛くなんかない。」

 

「(目を背け・・・逃避する・・・)」

 

燕は心の中でつぶやいた。

 

「私が娘にしてやれたことは産むことだけ」

 

神無の声がより真剣に、より強く感情的になっていく。

 

「育てたのも教えたのも鍛えたのも私じゃない。里が滅ぶその日まで私は娘を一目見たことすらなかった。里が滅び、“忍”であることから解放されながらも、娘と共にいながら、私は彼女に背き母親として何も果たせなかったことから逃避するために“忍”を続けた。そして娘にも“忍”をさせたのよ・・・」

 

語る神無は歯を噛み締めていた。そう、神無にとっては当時の自分の姿がどうしても歯痒く憎く、とても後悔していた。

 

「でも彼女は・・・言った・・・」

 

次第に神無の声は震えてきた。

 

「私のためになら、人を殺せるって・・・」

 

涙が神無の額を流れた。燕も次第に心が乱れ始め、不安になってきた。燕は薄々感じている、彼女の娘が誰なのか。

 

「そんな私でも・・・彼女は精一杯・・・母親として愛してくれたのよ!なのに私は・・・!」

 

神無は涙で溢れながら大声で自分に叱咤するように叫んだ。

 

「母親として何も果たしてやれなかった!」

 

涙を拭うと彼女は気を取り戻して続けた。

 

「だから・・・だから私は貴方を殺す!」

 

神無は小太刀を両手で抜き片手の小太刀を燕へ向けて突き出した。朱雀は敏感に反応し、前に跳び出そうとしていた。が、それより速く文月が間の間合いを縮め牽制してきたので朱雀は押しとどまった。だがそんなことに気もくれず、神無と燕は互いから目を逸らさない。

 

「私が娘にしてあげられることは悲しむことと、悲しいが故に貴方を殺すこと・・・。貴方を許したら、私は本当に母親失格だ。・・・忍は飽くまで人だ!だから私は・・・」

 

神無の目から彼女の決意と意思が伝わってくる。

 

「それが復讐を正当化するための言い訳だと言われてもいい。娘が帰らない以上単なる自己満足と思われても仕方が無い。だが・・・それが私の、今を生きる理由。・・・“人”として、生きるための目的だ!」

 

 

 

 

長い沈黙が続いた。

だが無意識のうちに、合図もなければ音もない、その間に神無と燕は二人とも構えを取っていた。朱雀が見守り、文月が朱雀へ牽制の如く目を逸らさない中、当たり前のように二人の闘いは始まった。燕と神無の刃が二度交差し、そこから振りが速い神無の小太刀が押し始め、それをかわした燕の忍び刀の振り上げが掛かり、神無が身を回した勢いでそれを弾くとそのまま回転して小太刀で攻め入る。だが燕の速さは引けを取らない。間一髪神無の連続攻撃を避け、後方へ跳んで間合いを取る。

 

「(速い・・・!)」

 

速さには自信を持つ燕が、闘った中で最も速い敵だった。ユイが退けをとるのも納得がいく。

 

「(来る!)」

 

朱雀は優勢に攻める神無の姿を見て、いても立ってもいられなくなっていた。だが下手に動けない。動こうにも目の前の文月は間合いを詰めて以来鞘に手を伸ばし構えたまま全く微動だにしない。そう、下手に動くことは許されなかった。燕は速い。だが神無の速さは劣るものではないのが観て取れる。次第に燕が不利なのは目に見えてきた。今まさに朱雀は感情に乱されていた。

 

燕は神無に弾かれ、体勢を崩した。そこへすかさず神無の追撃が襲い掛かるものの、燕は倒れかけた身を、足首を捻って身を回すと、神無の死角、前のめりになった神無の真下から刀を振り上げた。神無はすかさず小太刀で対応したが、しかし勢いには勝らず小太刀を一本弾き飛ばされてしまった。

 

体を反転させ、刃を振り下ろした燕は、その場で屈んだ状態へと身を起こすと、そのまま腰を回して身体を回し、神無の足元へと斬りかかる。弾かれた状態でそれに対応する術は他になく、神無はそのまま後方へと爆宙し、着地するがそこへすかさず燕の突きが襲い掛かる。突きをかわす神無に追撃が襲い掛かる。小太刀一本では忍び刀相手には不利だ。燕の振りを受け止め、鍔迫り合いに陥る。

 

二人が押し合う中、神無の蹴りが燕に死角から炸裂した。わき腹に喰らって燕は堪えるが、鉄鋼を仕込んだ神無の蹴りの威力は半端ではない。力を抜いた一瞬のうちに神無の小太刀が宙を水平に裂き、燕の眼前を通る。

 

「くっ!」

 

燕は半歩引くが小太刀を振ったまま神無はその方向へ回り、後ろ回し蹴りを燕の胸に命中させる。威力だけではない、素早さを備えた強力な蹴り。燕は思わずふっ飛び、そこにすかさず神無は空いた手でクナイを投げつけた。

 

一本が燕の頬をかすり、もう一本が顔の反対側の髪をかする。何とか足を屋根の上につけ、踏ん張る。一気に距離を縮めた神無に対し、防御の構えを取る。神無は目の前まで駆けると急に左へと跳び、一気に移動して位置を撹乱しつつ攻め込む。燕は焦りを抑え、振り返って神無の小太刀を受け止める。そこへ襲い掛かるもう片手の攻撃を背の短刀を抜いて受ける。が、短刀が受けたのはクナイだった。

 

「っ!!」

 

燕は跳ぶ。すかさず受けたクナイは神無の手首の動きに合わせ燕へと襲い掛かる。飛び来るクナイは燕の肩に、左腕に一本ずつ刺さる。そこへ軽く跳んだ神無の跳び蹴りが胸に当たり、燕は屋根を転げ落ちた。

 

屋根の端で身を起こした燕にさらに襲い掛かる無数のクナイ。燕は首巻を振るうと、クナイをそれで受け流した。そこへ月を背景に神無が飛び掛る。燕は横へ咄嗟に飛び、かわすと、着地と同時に小太刀ではなくクナイを近距離で投げた神無の攻撃を避け、さらなる追撃を受け続ける。燕の刃と宙で小太刀が交差し、互いに弾いた神無は屈むとクナイを燕の足へと投げつける。上体への攻撃ばかり意識していた燕の足にクナイは足へかすり、そこへ神無が燕の足に蹴りを入れる。倒れた燕に問答無用で襲い掛かる神無。忍び刀で間一髪受け止め押し合いになる。

 

互いに相手から目を逸らさない。しばらく押し合った後、神無は跳ね上がり、燕の手を蹴り上げた。足の鉄板による強烈な痛みに、燕の忍び刀は宙を舞う。そこへすかさず神無が小太刀を振り下ろした。

 

「はああああぁぁ――――――!!!」

 

愛無への想いを込め、神無は振り下ろす。だが勝利に浸るにはまだ早く、燕もまだ諦めるには至っていなかった。

 

「私は・・・」

 

燕は落ち着こうと息を整えながらつぶやいた。

 

「負けない・・・!私は・・・死ねない!」

 

微笑むユイの姿を思い出す。小太刀を白羽取りしたまま、燕は屋根の端から転げ落ちた。

 

「なっ・・・!」

 

それに小太刀でつながった神無も後に続く。二人が地面に体を打って起き上がり、小太刀はそんな二人の間の、丁度中間に落ちた。二人は小太刀目掛けて駆ける。神無の拳が飛び出すが、燕は身を回して拳の内側へとあえて回ると小太刀を蹴り飛ばした。小太刀は地面を滑り二人から遠ざかる。蹴った燕の肩に神無の右膝が打ち込まれる。その勢いで跳びすかさず繰り出されようとする左脚の回し蹴り。燕は屈んでそれを避けるが宙で自在に体の向きを変化させられる神無の右脚の蹴込みが襲い掛かる。が、燕はそれを正面から受け流す。

 

「痛っ・・・!」

 

だがかすった燕の右腕にはあざができる。

 

「はあっ!」

 

受け止めた燕はその脚を掴んで神無を地面へと叩きつける。

 

「くうぅっ!」

 

跳ね上がって体勢を立て直す神無。二人は再度互いに殴りかかる。近距離なので二人は主に腕を伸ばし、相手の腕を掴もうと交差する。燕の肩を掴んで背を振り向かせた神無は燕の腰の短刀を抜いて振りかざす。だが燕は屈んでその腕を掴むと神無を背負い投げする。投げられた神無は短刀を手放し転がる。と、目の前にあったのは先程弾き返された小太刀。神無は小太刀目掛けて駆ける。それを察した燕も後を追って駆ける。

 

「(クソッ!)」

 

神無は腹を片手で押さえる。気付けば傷口にずきずきと痛みは伝わってくる。

 

「(まだだ・・・!)」

 

神無は堪え疾走する。

 

「(まだだ・・・!!)」

 

神無は地面を蹴ると宙で反転して燕へと牽制のクナイを両手で大量に投げつける。燕は咄嗟に頭をさらに低くして前転をし、間一髪回避に成功する。が、前を向けば神無は今まさしく小太刀に手を伸ばしていた。

 

神無は小太刀を転がるようにして手にすると体の向きを反転して燕へと襲い掛かる。燕は神無の太刀を紙一重でかわしつつ、反撃の隙を狙った。だが怪我をした足と消耗した体力と格闘戦での痛みのせいでなかなか隙を突けずただ回避に徹するのみ。消耗においては神無も同じものだが神無には持ち前の速さがあった。

 

しゃがみ、右へ身体を傾け回避、後退。燕は後退しつつ上半身の動きで攻撃をかわし続ける。好機である神無の攻撃は猛攻と呼ぶに相応しく、このままでは確実に燕は殺られる。蹴りを繰り出さない所から、神無は小太刀による決着に賭けているに違いなかった。

 

「(まだ・・・まだ・・・!)」

 

燕はただ一心に心の中で思った。考えている余裕などない。ただ思った。

 

「(死にたくない!!)」

 

“忍”らしからぬ感情だと、もし余裕があれば思ったであろう。

 

「あうっ・・・!」

 

その時だった、小太刀が燕の胸元を切り裂いたのは。装束の中に着込んだ鎖帷子のおかげで傷はかなり浅いのが幸いだったが、それは致命的な隙に代わりはなかった。小太刀が返され燕の首を狙う。

 

「くぅ・・・っ!!」

 

燕はよろける身体を左へと倒し、振り返り様に神無の太刀をかわす。が支え切れぬ身体は体制を崩して地面へと倒れてゆく。そこへ回転をつけた神無の太刀がその背を切り裂く、今度は浅くない。

 

「きゃあっ!!」

 

背を水平に斬られただけでは致命傷には至らない。

 

「あっ・・・くっ・・・!」

 

燕は地面に倒れこみ、必死に痛みを堪えて立ち上がろうとする。

 

「死んでっ!!」

 

神無は小太刀を振り下ろす。勝利など念頭になく、生き延びることは目的ではなく、ただ娘のためにという執念だけが身体を突き動かす。

 

「はぁっ!」

 

燕は痛みを堪えて足だけ蹴り上げる。それは丁度神無の脇腹へと直撃し、神無は急に体制を崩して倒れこむ。

 

「ぐっ・・・くぁっ!」

 

傷口が開いた。激痛が一時的に走り、神無の身体の自由を奪う。

 

「はぁ・・・はぁっ・・・」

 

一方、燕は呼吸を必死に堪え、立ち上がろうとする。と、その時前を見ると、すぐ先に弾かれた忍び刀が横たわっていた。

 

「!!」

 

燕は歯を食い縛り、一気に力を込める。身体が起き上がり始める。

 

「のが・・・逃すか!」

 

痛みが引き始め、神無はわずか残る痛みを堪えて小太刀を振るう。

 

「はっ!」

 

燕は上半身が起き上がると、勢いつけて地面を蹴った。水平に襲い掛かる神無の小太刀をかわし、跳躍する。そして着地によって忍び刀を踏み、宙に浮いたそれを燕は振り返って掴む。振り返った燕の目は、覚悟の目をしていた。

そう、これが決着だと。

 

 

「はああぁぁぁ――――――――――!」

 

神無の想いが風を斬り裂く。

 

「あああぁぁぁ――――――――――!」

 

燕の心が刃という形で唸る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無駄だ」

 

文月は朱雀の背後から刃とともに挟んで言った。

 

「貴様では俺には勝てん。」

 

「くっ・・・!!」

 

朱雀は動くことができない。ついに耐えられなくなった朱雀は静から動へと行動を開始した。だがこれまでに幾度と燕の元へと文月の間合いから抜け出そうとしただろうか。いくら持ち前の速度を最大限に発揮しようとしてもそれより速く文月は間合いを詰め、全く無駄なく牽制をする。否、むしろ朱雀の一挙動作全てを先に読まれ先回りされている。

 

「貴様に技を仕込んだのは他の誰以外でもない・・・俺とイスカと百舌だ。」

 

朱雀は歯を噛み締めた。文月が憎い。これだけの力を持ち、技を与えてくれたというのに今なお敵となって立ち塞がる。最後にあったときも卯月の加勢に、そして今度は燕の危機だというのが朱雀にとっては最大の難点であった。

 

「っ・・・貴様っ!」

 

「あの女が何故俺を頼ったかわかるか?」

 

「!!?」

 

朱雀は答えなかった。否、答えられなかった。

 

「俺に貴様を牽制させるためだけではない。貴様等を見つけるためでもない」

 

文月は事務的にでも事実を告げるように言った。

 

「俺や貴様に、聞かせるためだ。“人”としてな。」

 

 

 

一方秋月亭にて。神無が以前彼女に告げた言葉、彼女の誇りは彼女自身の飾りで弱さに他ならないと。その意図を察した水無月は今自分が彼女に叱咤したことを悔いていた。

 

「いけない・・・」

 

水無月はつぶやいた。

 

「神無殿に、謝らなくては。」

 

 

 

 

 

神無は街道を着物姿で歩いていた。片手には金魚が入った袋が、片手には何ももたずただ歩いていた。今日の役目を終えたら“忍”を止めよう。“人”として、娘とともに生きよう。その想いを胸に神無はかすかな微笑を顔に歩いていた。これまで果たせなかった“母親”という役目を、これから真っ当したい、そう思い描いて娘の姿を求めた。その先には人だかりがあった。胸騒ぎがし、神無は早足で歩き無意識のうちに駆け始めた。人だかりを避け回り込み、気付けば狭い通路へとたどり着いていた。呼吸を整えることはできず、胸の高鳴りにまかせるまま辺りを見渡した。娘の名前をしきりに呼ぶ。

 

「神無」

 

すると角から愛無が姿を現した。神無は安堵し、娘へと駆け寄った。そして屈んで抱きしめる。よかった・・・、ただそう想って娘の頭を撫でる。娘もまた彼女の髪を撫でると、彼女は神無の手を取った。

 

二人は歩き出した。二人してただ一言も発せず、しかし何の不自然さもなく、手をつないで一本道を歩く。その途中で二人の周りの景色は次第に形を変えていく。“忍”の里が写り、修行場の光景が現れ、雨の林が写り、どこにでもありそうな屋敷が現れ、微笑んで手を振りながら話しかけようとする喜無の姿が見え、業火が現れると今度は娘との今までの日々が写りだされる。ただそれを無言で神無はたまに、顔を左右へと向けて見届けながら気付くと二人は川原の前にいた。すると娘が神無の正面に立って目を神無の左手へと落とす。神無は手を見て察する。

 

「はい、これ」

 

神無は愛無と同じ高さまで屈むと袋を差し出す。中ではたしかに何かが動いているが、袋で中の様子は見えない。愛無はそれを受け取ると一言言った。

 

「ありがと」

 

そしてその袋を持って川原へと駆ける。袋を開くと、彼女は神無の前でその中に閉ざされていた金魚を川へと解放した。神無は思わず手を前に出して止めようとしたが、意識は川の流れに沿って自由に泳いでいく金魚に注がれていった。まるで解放された金魚の姿は神無に自分の姿を思い描かせた。袋の中は、さぞ暗く、怖く、狭く、自分を拘束する殻のようであったのだろう。そして金魚は今開放された。

 

“忍”というのは飾りでもあれば、神無の殻でもあったのかもしれない。二人で自由に泳いでいく金魚を眺めた。そして金魚の姿が見えなくなると、愛無が振り返った。二人は顔を合わせ、目があった。もう神無に迷いはなかった。他に考える必要などなかった。今こそ“母親”としての役目を一つ果たす時。

 

「愛無」

 

今まで勝手に後ろめたく感じて言えなかった言葉を、神無は言った。

 

「愛してるわ。」

 

「神無・・・」

 

愛無は神無を無垢な瞳で見つめて言った。

 

「私、神無に言い損ねた言葉がある・・・言うね。」

 

彼女は言った。

 

「かあさん。」

 

そして初めて、命一杯、微笑んでみせた。

 

やっと、お互い素直に笑えた。自然になれた。

 

「行こうか・・・」

 

止まり続けていた二人の刻が今動き始めた。“忍”としてではなく、“人”として、“親子”として。二人は歩き出した。その先の景色を求めて。

 

「神無、」

 

歩きながら愛無は言った。

 

「髪解こ。」

 

「そうね、」

 

笑ってうなづくと神無は髪を縛っている布を解いて手放した。それは川の流れに乗って流されていく。“忍”として、束ねていた髪、縛っていた布だった。

 

「後で、」

 

愛無は櫛を取り出した。

 

「櫛で髪梳いて上げる。」

 

今度は神無が微笑んでみせた。初めて、本当に心の底から。

 

「愛無・・・ありがと」

 

 

 

神無は愛している、ありがと、と口ずさんで燕の目の前で息倒れた。忍び刀を手に、止めを刺そうと構えていたが、できなかった。彼女のその、娘を求める姿に、燕は同情してしまいどうしても手を下せなかった。膝を突き、燕は跪く。弱々しく忍び刀を持った手を地に横たわらせ、泣いた。

 

「私は・・・」

 

悲しくてたまらなかった。わからなかった。

 

「私は・・・何のために・・・人を殺すの・・・・・・?」

 

 

燕 第十四話:飾り

―完―


 

燕 第十五話:孤独

予告−

『真の強さ』を追求する忍の里

“完璧”を求められた一人の忍

外界に拠り所求める一人の少女

此処は己の居場所と信じたい

其処の者との絆は真だと信じたい

だが二人の容姿は時を重ねると共に残酷なまでに、

彼らを、そして周囲を蝕んでゆく・・・。

 

「母上、何故私の髪だけ、色が違うのですか?」

「あっちに行ったらその時は本当に、私達、師走様、水無月も、皆貴方の敵・だ・か・ら。」



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