燕 第十四話:飾り


 

第四節―――――

 

―追憶―

 

神無は日が暮れ、人通りが少なくなった街道を着物姿で歩いていた。昨夜、娘のために外へ出ていた間に主が殺された。迂闊だった。真っ青になって主が殺された屋敷内を探し回った。案の定、愛無は押入れの中で無事だった。思わず涙して彼女の小さな身体を抱きしめた。慰めるように髪を撫でてくれた娘に、神無は涙目で見つめると、買ってきた櫛を差し出した。すると彼女は、今度はそれで神無の髪を梳いてくれたのだった。

 

「神無は何のために殺すの?」

 

愛無は尋ねた。まだ八つの少女は血に染まった短刀を手に、見透かすような目で見つめながら尋ねた。神無は振り向かず、ただ一瞬ちらっと横目で彼女を見る。

 

里が滅び、生まれつきの“忍”という鎖がなくなり、彼女と二人での生活を始め、役目や修行にさほど気を使わなくなってから、神無は次第に考えるようになり始めた。それもこれも“忍”ではなくなったからか。

 

だが鎖が解けても、今更人の身として生きる術は、神無には思いつかなかった。娘を連れ、一時的な主を見つけ、その元で役目をこなして生計をたてる。そしてまた新たな主を見つけ、その繰り返しだった。結局、不器用とでも呼ぶのだろうか。彼女には“忍”として生きる他道を模索することは難しかった。だがそれでも、せっかく会うことの出来た娘、愛無のため・・・。

 

愛無もまた、“忍”という鎖を纏っていた。故に彼女は神無を手伝うと積極的であった。神無は極力愛無には危険な役目を与えなかった。だが、やむを得ぬ場合も存在した。その時は、神無の気こそ進まぬものの、愛無自身は真っ向からそれを望んだ。理由は彼女のその質問にあった。

 

「神無は何のために殺すの?」

 

神無は答えなかった。血塗られし短刀を手にした彼女とその質問から、神無は背いてしまった。

 

 

 

里が滅んだ夜。断絶魔と苦痛の阿鼻叫喚が絶命と業火に呑まれる地獄絵図の中、神無は一足先に里の外側へと飛び出していた。

 

「逃げろ」

 

それが最後の役目だった。だが神無は里へと振り返った。炎の中無意識に探してしまう。と、そこへ丁度声が掛かった。丁度、神無が逃げ出せなかった原因が。

 

「神無!!」

 

振り向くとそこに喜無が木々の間に立っていた。炎の中屋敷内からわざわざ抜け出してきたのだろうか、喜無の顔や装束は一部黒くなっていた。

 

「よかった・・・まだ居てくれたのね」

 

呼吸を整えると、彼女は普段の笑みを取り戻し言った。

 

「喜無・・・」

 

神無は安堵の声をもらすが喜無の傍にいる影に気づいて押し留まった。するとその影は一歩明かりへと近づき、それがまだ幼い少女だということが判明した。

 

「この子・・・」

 

喜無はそのためにわざわざ炎の中を。彼女は口こそ笑っていても呼吸を整えるのに必死だった。

 

「愛無よ・・・」

 

そのとき喜無は、最も魅力的な笑いと目を、笑顔をしてみせた。

 

「大事に育ててね・・・」

 

そう言って彼女は炎の方へと振り返って進み出た。

 

「喜無・・・!」

 

神無は呼び止めた。すると少女は神無の手を握った。一瞬愛無へと目を落とすが、喜無へと戻す。

 

「捲無よ・・・あの裏切り者・・・」

 

彼女は炎と向かい合っていた。

 

「あの男、それともう一人・・・皆でも手に負えないわ。」

 

いつもの平然とした声。

神無は目を細めた。

 

「徳川の手か・・・」

 

「まあ・・・ね。」

 

喜無は相変わらずの笑みで答える。

 

「しつこいわね、幕府も。女に嫌われる性質よ。あれはね、黒薙屋よ・・・きっと。私達を始末するために幕府が雇ったの。」

 

「どうする気だ・・・?」

 

炎へと歩み始めた喜無を神無は呼び止めた。

 

「あたし・・・」

 

喜無は最後に横顔をちらと見せて言った。

 

「まだ“忍”だから。」

 

 

 

 

 

「神無は何のために人を殺すの?」

 

今更後ろめたかった。あの業火から救い出したのは喜無、生んだのは自分だというのに乳を与えたのも言葉を教えたのも“忍”に育てあげたのも自分ではない。挙句“忍”という鎖から解かれた今、また“忍”をさせている。後ろめたかった。不器用だから、と一言答えるのでは言い訳としか思えない。神無には答えることができなかった。だが彼女は答えた。

 

「私は・・・」

 

愛無の声には何の偽りも曇りもなかった。

 

「神無のために殺すの。」

 

 

 

 

神無は街道を歩きながら決めた。今日の役目は終えた。これを最後に、“忍”を止めようと。娘とともに、“人”として生きようと。手には愛無が取ってきてとねだった金魚が、水を満たした袋の中で泳ぎまわっている。“忍”として鍛えた反射神経と感覚でならと思ったが、意外とこの金魚掬いなる、この町独特の遊びは難しいものであった。なんせ金魚を掬う網がいとも簡単に破れるのだ。だが三回目でコツを掴み、四回目では金魚を掬い上げる感覚を覚え、五回目は後一歩というところまで行った。毎回掬う度に感覚とコツを真剣に読み取っていたからだろうか、店の主にはもっと気軽に楽しめと言われた。六回目は案の定掬い上げることに成功した。おかげで金銭を思わぬ程消費することとなったが、娘のためとは言え楽しめた気がした。結局は、金魚掬いは遊びなのだから。あれだけ続けていれば少しなりにも楽しめてくる。実際は失敗が続けばその逆なのかもしれないが、楽しもうという概念がない神無としてはそのまた逆だった。

久々に楽しめた、と思ったが考え直せば楽しみなど感じたのは初めてに違いない。娘のために懸命に何かをし、そして楽しむ。“忍”をやめて“人”として娘と生き始めれば、こんな楽しい人生が待っているのだろうか。今まで、自分の中で眠っていた“人”としての“自分”が目を醒まそうとしているのかもしれない。神無は夕陽に向かって歩きながら微笑んでいた。人通りの少ない街道を、手に袋を持って歩く様はまるで母親そのものだった。

 

 

が、目の前に人がやけに集まっている場所がある。胸騒ぎがした。神無は焦燥に駆られ早足になりやがて無意識のうちに駆け出していた。この日人だかりができる騒ぎがあるとすれば心当たりは一つだけ。考える必要もない。この胸騒ぎが気のせいであればいい。

 

娘がおびき出した忍が死んでいる、それならいい。

神無は駆けた。人だかりを避け、回りこむ。

 

広場には待ち伏せらしき男達が骸となって転がっている。綺麗に急所のみ刺し、無駄な返り血を出していない違和感のある現場。広場を駆け抜け、先の通路へ出る。行き止まり、ゆっくりと足取りを進める。すると吹き矢が壁に刺さっているのに気がついた。神無の胸騒ぎは一行に悪くなる。耐え切れなくなる前に、と神無は軽く跳躍して屋根に飛び乗ると反対側の通路に下りた。

 

そこで神無は凍りついた。細く長い血の線ができている。神無は恐る恐るその血の線にそって進む。震える手足。口は開きかけており、顔は強張っているが目は不安の面影が掛かっている。そして神無は止まった。

 

「愛無、」

 

神無の表情が一転した。愛無を見つけられた安堵とその場で見つけてしまった絶望感、神無はよたつきながらうつぶせに倒れている娘へと歩んでいく。

 

「・・・な」

 

膝をついて彼女の小さな身体を抱きかかえる。昨夜とは抱えたときの温もりが違う。目から出てくる涙も気持ちも違う。肌に感じるのは血の生暖かさ。目から溢れるのは恐怖の涙と唯一無二を失うことへの絶望感。

 

「愛無っ・・・!」

 

神無はやっとのことで声が出た。視界は潤んでしまってぼやけている。まるで滝のように大粒の涙が湧き出てきている。だが神無は一瞬その涙を抑えた。

 

「か・・・ぁ」

 

少女は細く、細く目を開けて小さい、小さい声を出した。そして一瞬だけ、その本の一瞬の間、神無の心に安らぎは訪れた。それだけ彼女は神無にとって掛け替えのない者だった。

 

「あ・・・」

 

「っ・・・」

 

神無が心にしまいこんでいた言葉を発しようした刹那、腕の中で娘の首は傾いた。そう、一瞬の安堵は絶望へと変わった。

 

「あ・・・・・・っ!」

 

神無は愛無を、愛する娘を抱きしめ、地面に倒れこんで大声で泣いた。泣き続けた。初めて、声に出して泣いた。

 

 

伝えられなかった。

 

 

その後。神無は悔いた。娘のために何もしてあげられなかった無力な自分を悔いた。そう、これからだというのに。これから母親としての“自分”を真っ当しようとしていたのにと。そして彼女は決意した。長い髪を束ね、縛り『闇』の中へと駆けてゆく。“人”としての“自分”を真っ当するために。母親として成すために。

 

 

―追憶―

 

「かおり・・・」

 

燕は少女の声に目を覚ました。腹を押さえて起き上がる。装束は血に染まっているが痛みは感じない。見渡すとあたり一面真っ白な空間だった。前を向くとそこには一人の少女が立っていた。自分のことを“かおり”と呼ぶような少女は一人しかいない。今になって、燕の心に深く刻まれた一人の少女。

 

思い出す。水無月と死闘を繰り広げ、最後に水無月に会心の一撃を繰り出し・・・。

 

「私・・・死んだの?」

 

燕は恐る恐る尋ねた。自分が死んだとなると少しばかり恐ろしいものだ、今まで死すらも恐れない『強さ』を求めたというのに、手にしたと思っていたのに。だがもっと不思議に感じたのはユイの死の方が燕にとってはもっと、それこそ死ぬほど恐ろしかったことだ。

 

「まだ・・・」

 

少女は無表情で答えた。たしかにあの時の、燕が殺めた、唯一の少女だった。

 

「立って、かおり。」

 

少女は手を差し伸べた。

 

「神無のために。」

 


第十四話 



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