燕 第二話:決意




第三節―――――



それからさらに修行は続いた。腕立てから拳立て、さらには指立てを一日百回はした。加えて腹筋、受身、柔軟、跳躍練習もした。足には重石をつけ過ごすことになり、吐き気や頭痛、腹痛、熱になることもしばしばあった。厳しい訓練になって以来、アンが毎日の様に様子見をするようになり、必要あらば処置を施した。百舌も鬼ではなく、二人が疲れるとつかの間の休憩をくれる。だが大抵は目標を果たすまで休みはなく、アンもそれに対し同情や心配の表情は見せなかった。

ある日、特訓中、目標の回数が増え燕は倒れて足をすった。アンが消毒し、変わった布でその傷を包んだ。これまでにも何度か傷ついた時に結んでもらった布と同じで、三尺手拭という。それはマメ科の蘇芳(すおう)という植物で染められており、殺菌作用が強いのである。ユイが横から心配して覗き込むが何も言わない。息を抑えるので精一杯であるのだった。燕もそれは変わらなかった。

「痛っ!」

アンが布を縛ると燕が小さな声を上げた。

「痛むか?」

従事傘を被っている百舌が傍に歩み寄って声を掛けた。傷口の周りには血の跡があり、皮がむけていた。

「二人ともよく聞くのじゃ。怪我をすれば傷口ができる。皮もむける。だが、いずれはその傷も塞がり、この様な擦り傷だと後でかさぶたができる。少し傷つくことを恐れる必要はない。かさぶたを作るためだと思えばいいのだ。」

百舌は優しくそう伝えた。二人はまるで老人から話を聞く孫の様に話に耳を傾けていた。そもそも百舌は二人に修行を与えるだけでなくその意味、その活用法だけでなくさまざまな話をよくするため二人は無意識に百舌の話に対して耳を傾け集中する。さまざまな話とは、今まで百舌が観てきた日本の各地、その人々、その深層心理や行動原理、幕府と天皇、特に自然と動物、鳥に関しての話が多く二人にとっては興味深かった。実際燕とユイ他仲間の忍達も皆名の由来が鳥だという。胸を抑え、呼吸を整える二人の姿を見て百舌は続けた。

「疲れていて、休みたいという気持ちはあるだろう。だが、そこであえてもう一がんばりするかしないか、という心持が大切なのじゃ。無茶はしてもらっては困るが、普段からいつでももう一がんばりできる心を持っていることは重要じゃ。それは、」

百舌は自分の胸に手を当てて続けた。

「ここの強さじゃ。」





それはその年の弥生の月だっただろうか、百舌はまた放浪するため「巣」を後にした。代わりにアンが燕とユイに修行をつけるようになった。どうやらアン、そして正月の集まりの席で一度だけお目にかかったイスカという百舌とさほど歳の変わらぬ男性は年中「巣」を離れることはないようだ。イスカという男に関しては、ただそのたたずまいだけで威厳と聡明さが感じ取れた。

「イスカ?ああ、あいつはね〜」

今ではすっかり二人が懐いてしまったアンが本人特製玄米おにぎりを片手に答えた。燕と、質問をしたユイは彼女を挟む形で寺の足場に座って三人で朝食をとっている。

「アタシ達の頭だよ。あいつの判断と命令で皆が動いているのさ。それにリュウとかセイとか、他の皆を鍛えたのもイスカさ。」

「あっ、そうなんですか・・・」

ユイは黒ごまたっぷりのおにぎりを両手で持って、ほっぺにご飯粒がついていることにも気付かず言った。

「てっきり百舌様が一番偉いんだと思ってました。」

「ま、無理もない。」

アンは笑いながらユイのほっぺのご飯粒をつまんでとって続けた。一方燕は静かに同じくおにぎりを食べながらアンの方を観て話に集中している。最も、同時に何か考えている様子だった。

「百舌とイスカは最初のさいっしょから一緒さ。あの二人がね、『巣』を見つけて、作って、そしてセイやコウを連れてきて育てたんだ。」

「リュウさんは・・・?」

ユイが尋ねた。

「あいつは・・・拾い子さ。セイとコウは元々忍生まれだからね、アンタ達よりちっさい時から居たよ。ま、リュウも変わらないくらい幼かったけどね、拾われた頃は。」

「朱雀は・・・?」

燕がつぶやいた。

「朱雀も・・・拾い子だよ。アンタ達と変わらないさ。ただ、ここに来たのはリュウ達よりも後で丁度アンタ達と同じくらいの頃に来たさ。」



「アンさんは?」

今度はユイが尋ねる。

「アタシかい?アタシはね〜」

空を見上げてアンが笑いながら答える。たまにアンが見せる過去を振り返る目、をしていた。

「最初からいたさ。だから知ってるんさ。」



アンは修行の合間に二人に趣味を与えた。燕は琴を弾き、ユイは扇と舞を教わった。はしゃいだりはしなかったが、二人は興味を示し、合間にのみ他の修行の一環と思って練習した。のちにユイの誘いで燕も舞うようになった。後々になって二人は知ったことだが、舞は平行感覚や無駄無き動き、形を重んじる心得のための、まさに修行の一環だった。






第四説―――――



その年の葉月だっただろうか。久しぶりに百舌が「巣」へと戻ったと思うと彼は一人ではなかった。一緒にいたのはぼろぼろに古さびた服装の、埃っぽい、暗い雰囲気の少年だった。顔には憎悪のような、非人間らしさがあった。少なくとも、動じなかったにせよ燕とユイにはそれが非人間らしさとして取れた。

燕とユイが琴を弾き、舞い、また修行をしている間、少年はその後一年間必死に掃除を続けた。二人も一年以上前にはさせられていたが、その少年、名はガクというが彼の掃除する様は驚くものがあった。文字通り必死なのだ。歯を食いしばるかのごとく必死にがんばっている。そして二人には一目もくれない。後で百舌がやってきて焦るな、丁寧にと注意していた。ガクは二人とともに寺で共同生活をすることとなったが、互いに話すことはなかった。というのも、少年の方から二人を避け、しかも寝るときも彼だけ間の端っこを陣取る。並みの女の子なら近寄りたがらない様な少年だが、修行を積み重ねてきた二人は既に並みの女の子とはわけが違った。別に気にかけなかった。

だが驚くのはまだ早かった。ガクは掃除の次の修行が始まって以来、気付くと夜寝るのも惜しんで鍛錬をしていた。それで翌朝の修行で倒れそうになったりと、身も蓋もない様子もあったがただ彼は、一日の目標を果たすまでは根を上げなかった。人一倍努力をする、熱心者だった。そのかいあってか、一年後には燕とユイの修行内容に追いついていた。



月日が流れ、四季巡る。合気道に似た武術を初め、柔術、空手、剣術、槍術、臨機応変の判断力と即座に転ずる行動力、常人のそれを遥かにしのぐ五感を取得し、精神力もかなりのものとなった。一時期、虫が溢れた巣窟で生活を余儀なくされたこともあり知らぬうちに虫も克服した。長時間一箇所に留まることも戦い続けることも訓練した。そして今、百舌に連れられ三人は山を数年ぶりに降りた。

連れられた先は廃墟と化した村だった。どこぞと知れぬ山奥の、地形も地盤も悪い、こんなところに住む者の気が知れぬような場所だった。案の定、相当前に滅んだらしく今は百舌ら忍にとって、長い旅路の休み場だという。その村の一件何の変哲もない家の中へと古さびた戸を開けて入る。燕、ユイ、ガクはそれに続いた。

中に入って驚いたのはユイとガクも変わらないだろうが、燕はそこに朱雀がいたことに驚いた。驚いたというより、寒気を感じたというべきか。そこには縄に縛られた男達五人がいた。百舌は部屋の片隅へと移動すると、三人を朱雀の後ろへ、男達の傍へ立つよう指示した。

目の前の光景と百舌が何をしようとしているのか、それを気にかけ内心不安げにいるユイとガクだったが燕は完全に意識が朱雀の方へと集中していた。目線が朱雀から一瞬たりとも外れない。縛られた男達は三人の方へと面しており、朱雀は背を向けた状態で静かに刃を装備した両腕を両脇に構え立っている。リュウ、も静かに立っていることはあるが朱雀のその姿はやはり何かが違った。燕が一歩ずつ朱雀へ近づき、その頭巾に隠れた顔を覗こうとすると、朱雀は燕から顔を遠ざけた。

「お前たちに試練だ。」

百舌は静かに口を開いた。

「お前たちに、この者達の、命が奪えるか?」

その口調は冷酷さがたっぷりだった。

「!」

一同はあまり動じる仕草は見せなかったが、百舌にはおそらくその動揺の顔色を見抜くことができただろう。中でも燕は一人、命を奪うことでなく何故そのために朱雀がいるのかに気がかかって仕方がなかった。

「朱雀、」

百舌は顔を上へ上げて冷酷に、しかしはっきりと言った。

「殺れ。」

次の瞬間、それまで立っていた朱雀の姿がなく朱雀の両腕が高速で一閃した。ユイとガクに至っては、出来事の順番は顔と体に大量の血が飛んだ、朱雀が一閃しただった。だが燕は血が飛ぶ前にわかった、朱雀の両腕が振るわれたことを。

「うぅっ!」

ユイは片手で口を塞いで体制を崩しかけた体をもう片腕で壁伝いに抑えた。もの凄い速さだった。朱雀は本の一瞬のうちにもの凄い勢いで5人のうち二人を滅多斬りにした。肉は大きく引き裂かれ、その顔は外見を失い、傷口は手刀で斬られたとは思えないほどの広さだった。朱雀はむっくりとその体を立て直した。燕も顔に飛んだ生暖かい血を手で触れた。燕の脳裏に初めて朱雀に出会った夜の記憶が薄らかに蘇り始める。額を押さえ、燕は必死に堪えた。そこへ救いか否か、百舌の声がかかった。

「今度は残った三人をお前たちが一人ずつ殺してみろ。」

短い、冷たい沈黙を破り、燕が一歩前に出た。額を押さえ、必死に流れ込む過去の記憶と戦い、燕は背中の忍び刀に手を伸ばしそれを抜いた。それを逆手に持ち替え・・・。燕にとって試練であることは関係なかった。ただその時頭にあったのは流れ込む過去の記憶と悲しみ、そしてどうにもすることができない心の迷いだけだった。



第二話 ―続―







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