燕 第三話:好戦
第三節―――――
その一撃をユイの背後から風をきるようにして駆けつけた燕が間一髪受け止めた。燕は鍔迫り合いながらも斬の刃をわずかづつ押し返し始める。斬は片手で刀を振るっている、また斬はユイに振り下ろした右手にほとんど力んでいるため燕が受けている左手にうまく力を入れていられずにいる、そして右手を縦に、左手を斜め横に振り下ろしているため力の調整がうまく効かない。それらの理由で燕が斬の刀を弾き返した場合、ユイと燕の同時攻撃が入る。その上待っていてもガクが背後に迫っている。まさに形勢逆転だ。
段々と落ち着きを戻していたユイ、そして燕。燕も内心は焦っていたのだ。だがその刹那、二人をあの波動が襲う。精神を逆撫でするような氣が身を内側と外側から襲う。鍛え抜かれた精神と先ほどの一撃からもう驚くことはなかったが、それでも押し返していた燕の刃も一気に押し返され、斬の白くもさび付いた刃は燕の身に一尺の所まで迫っていた。
燕は刃を一瞥し、再度斬の方へ振り向く。男の眉間にはさらにしわがより、口は裂けて笑っている。波動を目の前から受けているからだろうか、(五感がわずかながら鈍るのを実感させられた。空気が波動により押し付けられ、空気自体が雰囲気をかえていたように感じられる。気のせいか、視界の遠近感がぼやける。勢いに耐えようとし、同時に目を凝らすと、斬の肩の向こう側にぼやけた人影が確認できた。即五感を取り戻し、集中する。
ガクが忍び刀を抜いた。耐えればガクがその隙を・・・。
腕に力を入れ、押し返そうとする燕。同時に斬もさらに強く押してくる。反比例してユイが徐々に体勢を立て直していく。耐えようと燕は力を増した、そのとき斬はその勢いを利用し、ばねのようにその腕を刀ごと背後に弾いた。
「ちっ!」
ガクは舌打ちした。突きの構えから受けの構えに転じ、受けた刃をそのまま滑らせ斬の急所へ。
ユイは燕に迫っていた斬の刃が弾かれ、視界から消えたのを確認。即燕の方を一瞥する。燕は押す返すことに必死だったのだろうか、同時に彼女の姿勢がその方向へと崩れた。が次の瞬間にはユイ自身も前のめりに体制が崩れた。斬の刃が燕の死角に。
「くっ!」
今度は斬のもう片腕が半円を描いて肩の上から燕を襲い、ガクの刃は斬の急所をはずし、背中の左端を刺す。
「ちっ」
舌打ちする。
燕は足元が屋根の縁ぎりぎりだった。斬の刃が引っ込み、前のめりになってしまった。次に交差した斬の刀と鉄扇の間から斬は蹴りを入れる。
「ぐっ!」
腹に入り、その勢いで身体が浮く。
「きゃぁ!」
思わず小さく声を上げる。浮いた体が思った以上に長く宙にあり、屋根から落ちたことがわかった。腹の痛みをこらえ、地面を打つと同時に後転し、受身を取る。
体勢を崩す燕。浮いた足が傾いた屋根の段差についたと同時に足首を回し、足を締め一旦姿勢を直す、そして構えなおす、いつでも受けられるように無意識に体が動く。だがそれより早くユイが落ち、斬が前に跳び出してきた。先程弾いた腕がばねのように跳び戻ってくる。地面に足がつくと同時に足首をひねって身を横向きに翻す。斬の一撃を受け、そのまま屋根から転がり下りる。
燕への一撃が空振ったものの、そのまま隣の屋根を蹴り、身を翻してガクへ斬りかかる斬。勢いをつけ、一気に数倍の勢いで二刀を振り回すガクは忍び刀を逆手に、巧みに受けて後退していく。後屈立ちで受け止め、一気に隙を突いて蹴りを素早く両手・両脚・そしてあごに入れる。が、蹴りを入れ終わると同時に斬は刀を構えなおして振り下ろした。ガクは忍び刀で受け止める。
「!!」
斬は大人しく退き、屋根から飛び降りた。
「(まただ!奴は痛みを感じないのか!?)」
ガクは己につぶやいた。追うと斬は再び燕とユイの前で対峙していた。
「なめやがって!!」
ガクは飛び降り、燕達と斬を挟む形になった。
斬は挟まれたことに気付くと薄気味悪い笑みと笑いを浮かべた。
「フザケやがっ・・」
ガクが怒鳴りかけようとしたと同時にまた波動が襲い掛かった。やはり何か特殊な波動だ。殺気であることは間違いないのだが・・・まるで殺気が密集した空間、『殺界』。硬直状態に陥ってしまう三人だった・・・
とその時燕が斬に挑んだ。「!!」
まるで腕が何本もあるように見える速さの太刀を燕は受け、斬りつけ、かわし、回り込み斬る。斬の速さからして突くのには危険が伴う。地道に斬りつけていくうちに斬は身を一回転し、燕に斬りつける。ユイは疑うようなまなざしで燕の動きを観た。一撃目を屈んでかわし、二回転目を受けるより速く斬の足に傷を与える。が勢いを増した二刀の回転斬りに吹っ飛ぶ燕。
「馬鹿が!!」
ガクが飛び出す。
「貴様の相手はこの俺だ!!」
斬が振り向き、両腕を宙に上げる。今度は背後からクナイが飛んできた。悪運強くか勘強くか、斬は首を傾け急所への一撃を免れる。同時に各間接への一撃も避けていた。だが両腕にクナイが刺さったにもかかわらず斬は刀を振り下ろした。右へ一歩跳びかわすガク、同時に反対側から燕が再度挑んできた。それを確認し、ユイは高く跳躍する。
精一杯刀を振り下ろしたせいか、斬の背は地面と平行な姿勢にあった。地面を斬の刀が叩くと同時にガクと燕が真上から斬りかかる。そしてユイは斬の頭目掛けてクナイを投げる。
「!!」
刀を弾いて脇腹から血が顔に跳ぶ。
「あっ!」
「!!」
刀ごと体が吹っ飛ばされ、腕から血がどっと溢れる。
「ぐっ痛っ・・!!」
斬は地面に刀がつくと即刀を返した。まるで刀で地面を蹴って弾いたかのごとく体勢を戻し、同時に両手の刀を左右に円を描くように弾き返した。低い姿勢の斬の頭から首を狙ったため、またもや悪運か勘かそれとも計算の内なのかクナイは背に刺さり、急所からはほど遠かった。
「ま、また!!」
ユイは叫ぶ。しかも斬両腕と背に刺さっていることに微動だにしない、反応を見せない。そんなことを考えに巡らせていると、着地と一挙動遅れて斬が大きく振り向き、右腕の刀を一本なぎ払い投げしてきた。ユイは素早く身をそらして地面に仰向けになった。視界に燕の血で染まった刃が飛んでいくのが一瞬だけ見えた。
「くそっ!!」
ガクは左腕を抑えて睨み、斬を睨んだ。
「燕返し・・・!」
燕がつぶやく。装束の右脇から胸元まで斬られたが、実際出血しているのは鎖帷子が守っていなかった脇腹だけだった。それも傷は運良く浅い。刀が弾かれていなかっただけでも大違いだろう。と、次に斬がガクの方向へと身を翻すのを目で追う。すると斬は刀をユイに投げつける。一瞬、一瞬だけ燕の頭の中が真っ白になった。
「ユイ!!」
一方、ガクは、というと、斬が身を自分の方へ翻してきたときは心臓に悪かった。が、どちらかというと悔しかった。さらに燕の叫び声で振り向けば斬の刀がユイの向こう側に。見えた、まるで避けようとしたユイの顔を平たく裂いて飛んで行ったように。間を開けユイの方も起き上がったが、その間が生理的恐怖を感じた気がした。最も、何より悔しかった。
起き上がったユイの顔は真っ青だった。落ち着こうと深い呼吸を入れている。右腕で胸を抑えていることから鼓動が高鳴っているのがわかる。
「燕返しだと・・・、二刀で」
ガクが小声でつぶやくと斬はガクを一瞥する。まるで哀れむような目つきと表情で。ガクはその顔に歯を食いしばって怒りを抑えた。すると斬は顔をあげつぶやいた。
「なんだそりゃぁ〜。」
「!」
ガクは起き上がり、忍び刀を片手に構える。燕も反対側で構えなおしている。斬は背中の残る二振りの刀の一振りを抜く。
長い硬直・・・・・・冷静になれば全てがの一分以内の間に起きた瞬間的な出来事であったことに気付くが、その場の誰もがそんな余計なことを考えるほど余裕はなかった。硬直。すると再度燕が最初に動いた。ほぼ同時にガクと、ユイも接近した。その時である。
「誰かおるのか〜!!」
路地の方から一人の男が叫んできた。男の目に三人の忍達は黒い風の様にしか映らず、男は目を凝らして見るが気のせいだと思い込む。目を細くし、男は片手の提灯を上げる。そこには肌の白い、なにやら金属が刺さっている亡霊の様な男が映っていた。
斬は片手の刀を肩の上に置き、叩くように手を動かし考えていた。イラついていた。斬の興奮と快感は未知の相手との戦いで頂点に達していた。それが急になんだ、相手が姿を消して去って行った。しばらく納得がいかずそんなことに気付くのに時間がかかった。最も、本人に時間と言う概念はないが。しばらく考え、首をかしげ、刀で肩を叩くのをやめた。
「そっか、てめぇのせいか。」
斬は振り向いて男を見据えた。その顔には皮肉そうな目、そして意地悪な笑みが浮かんでいた。
狭い路地を男の血が真っ赤に染めた。斬も顔から腹にかけて血で染まっていた。普段ならともかく今宵は気が高ぶっていた。男を二刀で何度も何度も何度も斬りつけた。獲物を逃がしたのは残念だったが、まぁこれで気が済んだ、そう感じていた。
路地に出て、刀を振って血を落とし、鞘に一振りしまう。その時、初めて腕にある金属の物体に気付いた。それを斬は首をかしげ、凝視し、見た事のないものを初めて見る子供のようにゆっくりともう一振りの刀を納めその手でその金属片を抜く。またそれを首をかしげ凝視し、捨てる。路地を進むと先ほど投げた愛刀が落ちている。それを拾い、付着した血をなめる。なかなか美味だった。
「むごい・・・。」
風に乗る音を頼りにユイは斬の行いに気を悪くしていた。町のそばの森にいる三人。
「ちっ、邪魔が入りやがった。」ガクが右腕に付着した左腕の血を眺め言った。
「一気に忍び寄って始末するぞ。」
「駄目!」
ユイが止めた。
「ガクちゃん!」
「何故とまどう、女!それにちゃん付けは止めろ!!」
ガクが怒鳴って右手でユイを振り払うように払うとユイは隠すようにしているガクの左腕を掴んだ。
「痛っ!」
「これよ。それにユイよ、私は。覚えなさい!」
叱り返すとガクは黙り込んだ。
「ちっ!」
舌打ちする。
「二人とも怪我してるの。傷は浅くても出血してるんだから、寒いんだし無理は駄目よ。返事は?」
「承知。」
ガクが頭を下げて言った。
「燕は?」
「承知した。」
風のように冷たい返事で燕は答えた。不快そうだった。
―「巣」―
「よろしい。休め。」
「失礼します。」
ユイが障子を閉め、去っていくのを確認し、イスカは口を開いた。
「どう思う?」
「コウの持ってきた酒か?なかなか・・・」
百舌が杯を手に言いかける。
「本題だ。」
「まずいな。」
目を細くし、声色を変えて答えた。
「話によれば、斬という男、相当の剣の使い手だ。」
「出雲の山中を拠点に剣一筋で生きてきたという噂は本当の様だ。」
「あの相手、三人だったから被害は少なく済んだが・・・これは強ければ何とかなるという問題ではないな。」
「あの二人、留守だが戻り次第・・・」
「なるべく奴の件に関してはそっとしておこう。彼女らが見られたとしても、斬という男にそれほどの知能があるとも思えん。問題はないだろう。それより奴が山を出てここまで来た理由こそ気になるからな。」
第四節―――――
―「巣」アンの部屋―
「これでよしと。」
アンは燕の傷口に包帯を巻き終え、言った。ガクは先に手当てを施してある。燕の方が出血は少なかったのもあるが、何より燕を手当てするに当たって男は立ち入り禁止だ。そこへユイが戻ってくる。
「燕が軽傷負うのはたまにあるが、今夜は三人一緒だったんだろ。どんな敵さんだったんだい?」
アンがユイに顔を向けて問う。
ユイはそばに正座し、答える。
「恐ろしい、敵でした。斬ることを、心の底から喜んでいる人でした。」
「悪人なら、そんなん少なくはないだろ?」
アンが言う。
「いえ、でも、今回の敵は本当に、徹底的にです。剣を振るうのが全てのような、それ以外に何もない敵でした。それに・・・何より」
そこでユイは燕を一瞥し、続けた。
「戦いを、望んでいました。」
―「巣」数日後―
「燕」ユイが一人忍び刀の受けと攻めの練習をしていた燕に呼びかけた。修行は怠ってはならないが、そのほかにも燕はよく一人で人知れぬ所で何やら修行している。ガクの場合は日常茶飯事、隠れず堂々と修行しているのだが。
「ちょっといいかな?」
ユイは燕を手招きした。
二人は構えていた。燕は昨夜から変わらぬ無表情でいる。ユイは親しみのあるような微笑を作っていた眼は笑っていない。
「一人で練習するのもなんでしょ?私が、相手になってあげるわ。」
刀身が一尺ほどの木刀を両手にユイはかかって来いといわんばかりに木刀を外側に向ける。
「さ、遠慮は・・・」
言いかけるや否や、ユイはとっさに燕の下段の太刀を二刀で受けた。ユイには考えがあった。斬との戦いの夜以来の考えが。
少し遠慮が入っているが、やはり速い燕の攻めに対しユイは素早い跳びと舞を重ねた鉄扇技の動きで受け、そして時折攻め返していた。燕が攻めてはユイが攻める場面もあった。しばらくその遠慮が多い組み手が続き、ユイは思い切って行動する。
「こっちもその気で行かせてもらうわ」
急にユイの攻めが本格化する。それに裏返して言った時の声はいつも通り優しかった。
回転と受け、受けから綺麗に流れる様な攻め、舞を意識した鉄扇術のような攻めで速度を上げる。最も、それを燕はなかなか喰らうことはなかった。基、ユイは実力をほとんど発揮していない、当たり前のように。二人の戦いが激化していった。
「(や、やっぱり!)」
ユイはもの凄い速さの燕を見て思った。燕の攻め方が何か変わった、というよりは雰囲気だろうか。
「(斬の時とは違うけど・・・やっぱりそう!)」
そして思い切って決めに入る。燕の太刀を弾き、弾かれた太刀が体勢を戻して反撃に移るところを受け、そのまま流れて腰を落とし、観る者がいれば舞の様な美しい流れに魅力を覚えるだろう動きで燕の背後に回りこむ。
「王手!」
笑ってユイが嬉しそうに言う。
「やっぱり負けるのは悔しいから・・・」
ちょっと本気を出してしまった気がした。燕が小さなため息をつくのが聞こえた。燕の首に平行に右手の木刀が位置している。
と、次の瞬間ん、スッっと燕の頭が下方へ消えた。すばやく一歩後ずさりながら右手を下げ受けようとする。だがユイの木刀は弾き飛ばされた、両方ともほぼ同時に。というより一つ一つの動作への移る速さが尋常ではないためそう見えたのだ。同じ形を幾度と無く完璧にやったことがわかる。続いて同じ速度で低い姿勢の燕が足払いをかける。手を突こうと両手を背後に出そうとするが右手はまだ木刀が弾かれた痛みで突けそうにない。と、そんなこと関係なく地面からほど遠い高さで燕が背後から掴んだ。
ほっと安心してゆっくりと見上げるユイ。燕の少し和らいだ無表情の顔があった。言葉に困って顔を作ると次に燕の木刀が急所に向いているのがわかった。燕は表情を崩して尋ねた。
「大丈夫?」
燕がそう言うと、そこへ声がかかった。
「姉弟子殿、お二人ともイスカ様がお呼びです」
見習いの少年がそばの建物から声をかけた。
第三話 ―続―
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