燕 第五話:私情




第一節―――――



 ユイは一人憂鬱な気分でいた。たった数日前のこと、任務ついでにお祭りで燕の心を少し開かせようとした日、その日以来燕の心の閉鎖っぷりには磨きがかかった。いや、むしろ磨きがかかったというなら響きがいいが・・・実際どうなのだろう。閉鎖的な心でかつ任務や鍛錬に徹するのは忍として理想的なのだろう。だが・・・。そう悩んでいるとき、

「入るよ。」

と声が掛かって障子が開いた。ユイが振り向くとそこにはアンが立っていた。

「ん?何読んでいるんだい?」

アンはユイの傍まで歩きよってかがんで覗き込んだ。

「句集です、セイさんが前日餞別にくださったんです。」

ユイは振り向いて答えた。

「なかなか綺麗な句があるんですよ、えっと、たしかここの・・・」

ユイはその日ほとんど進んでいないページを戻してアンに読んで見せた。アンは感心の声を上げた。

「あんたは違うんだねー。」

「えっ?」

「いや、句とか、そういう忍以外のことにも関心を持ってる。まぁ、綺麗とか、そういう感情があるんだなってね。朱雀やリュウとはいい違いだ。」

「えっ!?」

ユイは最後の一言に敏感に反応した。憂鬱だったせいもあったのかもしれない。思わず尋ねてみる。

「リュウ、さんが・・・?」

「ん?朱雀同様、リュウも根っから真面目だからね、忍としての務めに尽くしているから、そういった感情は持ち合わせていないさ。」

それを聞いたユイは顔を少し下げ、表情を暗くしていたがそれに気付かずアンは続けた。

「長い間一緒だからね、あの子は最初からそんな奴さ。」

部屋は暗かった。外は酷い雨だ。まだ正午を回って長くないがそれでも部屋の中は真っ暗だった。それに増してユイの表情も暗くなっていた。

「最初から・・・って、アンさん、」

ユイは体の向きを変えて尋ねてみた。

「リュウさんは、最初、どうして忍になったんですか?」

するとアンはユイの内心を悟った風に軽くため息をつき、次に目線をそらして困った顔をしてみせた。

「いや、話していいのかな・・・。あいつは・・・拾われたんだよ。」

アンは少し皮肉そうな目つきになってそっぽを向いて話していた。

「物心つくころから忍さ。だから忍として育った、あいつに普通の、人としての過去はないのさ。だから、そう感情には振り回されない、忍という職に徹している。あの髪型に金髪、あの異形な武器、あの子の存在は謎が多すぎる。だが、そんなことすら、自分の生まれや自分の存在すら、あの子はそんなに気にしちゃいないみたいだ。たくっ。」アンは前髪をくしゃくしゃといじって言った。「そうそう、イスカの奴が御呼びだよ。」

「あっ、はい!」

ユイは気を取り戻し、立ち上がって部屋を出た。

「失礼します。」



「(あの人に・・・リュウさんに会いたい。)」

無性にそんな気持ちがしてきた。思い返せば2ヶ月ほど会っていない。うつむきながらユイは廊下を歩いていると、足元に小さな水溜まりを見つけた。ぽちゃっと水滴が水溜りの上に垂れている、ふと雨漏りかと顔を上げると目の前に雨漏りの元がいた。うつむいていたので気付かなかった。

「が、ガクちゃん!何してるのー!?」

怒ってユイが問いかける。

「鍛錬していて雨に降られた。濡れたのでこうして手ぬぐいを取りに来た・・・それと」

低い声でガクが答えた。

「ちゃん付けを・・・するなと言っている、ユイ!!」

ガクはいつも以上に憤慨して叫んだ。不機嫌そうなのは雨に打たれたせいだろうか。腕を体の前で振って見せたせいで雨水が飛び散ってユイにかかる。

「ちょ、ちょっとー!何するのー!?」

ユイはさすがに憤慨する。憂鬱だったせいだろうか。

「わめくな、たかが雨水だ。」

ガクはあっさり言って手ぬぐいで頭を拭いた。

「大体なんで、なんでこんな大雨の中・・・」

ユイはそっぽ向いてあきれた顔をした。

「そんなことは関係ない。」

頭が拭き終わり、しっかりした目でガクはユイに向かって言った。

「予定しておいた修行を行ったまでだ。」

ガクは手ぬぐいをユイに差し出した。

「濡れている、拭いた方がいい。」

ユイが呆然としているとガクは目線をそらし言った。

「早くとれ!」

ユイが素直な顔せず受け取るとガクは装束の中に突っ込んであった手ぬぐいを取って足場の濡れている場所に敷いた。



「ユイ、入ります。」

静かに声をたて、ユイはイスカの部屋の障子を開いて中へ入った。

「任務だ。心して聞け。」

イスカは向かい合って座ったユイに告げた。少々間を開けて伝える。

「ゲンを、殺せ。」

「えっ!?」

ユイは体を前に乗り出した。それだけ驚いていた。なぜなら、ゲンはユイの下で修行する忍だからだ。



しばらくしてユイはイスカの部屋を後にした。

「失礼します。」

暗い声だった。イスカは彼女の心の痛みを察し、ため息をついた。

「これで、良いのだな。」

イスカが問う。最初から部屋の隅の陰に立っていた百舌が姿を現す。ユイは、全く彼に気付かなかった。

「ああ。」






第二節―――――



―翌日の午後―

山道を通るにせよ、他人との遭遇は避けても避けられぬ場合がある。午後の場合明るいため、ユイと燕は装束を裏返して着ていた。そうすればどこぞの田舎娘にしか見えないからだ。といえど、それ以外の装備は変わらず。目立たなければ良いのだ。

今回の任務内容、ゲンの始末。ゲンは5年ほど前にユイが連れてきた少年である。主にユイや燕の下で育て上げられた。そのゲンが任務へ出かけて10日ほど姿をくらましたのである。情報収集方のセイが数日前に行方を突き止めたらしく、その田舎村へ向かうことに。抜け忍には絶対的に死を宣告される、それは忍である以上避けることができない掟である。情報漏れは忍として許されない。

昨夜「巣」を後にし、既に半日が経った。二人が真昼の山中を歩いていると燕がユイの肩を叩いて無言で顔をある方向へと向けた。ユイがその方向を見るとそこには一人の綺麗な女性がいた。肩を出した白い着物を着、長くて青みのかかった黒髪をした、高めの身長で背筋が真っ直ぐした女性がいた。あからさまに浪人や山賊の類の男達数人に囲まれている。



その女性は美しい髪を片手で撫でて首を振った。

「何の用だ?」

女性は尋ねた。男達は気味悪い笑いをした。

「とぼけんな。わかってんだろ、俺達がどんな連中か?」

「女一人、こんな誰〜もいない森の中何してんだよ〜?」

「一人ではない。」

全く動揺の色を見せず女性は答えた。

「わけあって今この刻場にいないがな。」

笑顔で答えた。

「ほう、たいそうな自信だな。その連れは強いのか?」

「まぁな。」女性は男を見据える目つきで答えた。

「命を捨てる覚悟もなかろう者達よりはな。」

その顔の微笑と目には絶対的な自信が見える。

「フン。俺たちにもスゲェ連れがいるんだよ。あの人の手にかかりゃ一ひねりだろ。」

「け、バカな女が。てめぇ人質にとりゃお終いだろが。どうせそれは飾りだろ?」

そう言って一人の男が女性の手を掴もうとした。次の瞬間。男達は何が起こったか理解するまで時間がかかった。そこにあった女性の透き通った肌の細い腕が消え、次の瞬間目の前には青みのかかった長い髪が風も吹いてもいないのに宙で波を打っていた。周りの男達はその後やっと女性の右手に握られていた白鞘が手を掴み取ろうとした男の喉で寸止めされていたことに気付いた。

「なんびとたろうとも、この私に指一本触れることは許さぬ!」

その女性は鋭い殺意を目から放ちながら言い放った。しばし男達は腰を抜かしてものが言えなかった。

「くっ!」

一人が刀を抜いて叫ぶ。

「このアマ!4対1で勝てると思ってんのか!?」

「お、おう!そうだそうだ!!」

他の二人も同意し刀を抜く。前に二人、後ろに一人、女性は囲まれていた。

「来るか?誇り無き者に情けはかけぬぞ。」

女性はそういって白鞘を一寸抜いて見せた。

「斬っちまうには惜しい女だが、連れが戻ってくる前に何とかするぞ!!」

「そこまで。」

「なっ!?」

男達は声がかかった方へ振り返ろうとしたが遅かった。女性に捕まっていない三人中二人は背後から短刀を胸に突きつけられている。燕とユイだった。

「ちっ!」

残った一人は冷や汗をかきながら後ずさりはじめた。と、その男は背後から顔を掴まれ、首を百八十度回され、まるで立てない人形の様に倒れた。そこには全身を黒い装束でまとい、顔を隠した忍が立っていた。体格もしっかりし、目の前の女性より二寸ほど背丈が高い。見た目から男だと判断できる。

「御怪我はありませんか、水無月様。」

忍は女性に話しかけた。

「ああ、問題ない。」

水無月と呼ばれた女性は大きく微笑んで答えた。

「くっ!」

男の一人が舌打ちすると茂みの方から足音が聞こえた。一同が振り向くとそこには腹が出た大男がいた。

「て、鉄雲の旦那!こ、こいつらやっちまってくだせぇ!!」

すると大男は小太りの気持ち悪い顔に薄気味悪い笑みを浮かべ、あごを片手で押さえて四人を見渡した。

「おまえに決めだぁ〜。」

鉄雲はそう言ってあごの手を水無月に指差した。するとその指先に忍の男が立ちふさがった。

「水無月様に、その汚れし指を向けるな!」

忍は言い放った。

「退け、名無し。御使命は私だ。」

そう言って水無月は『名無し』と呼んだ忍の肩を叩いた。そして先ほどまで白鞘で寸止めしておいた男を名無しに手渡した。「私にその指を向けたこと、とくと後悔するが良い。」そう言って水無月は一歩前に出て白鞘を構えた。半身を切って腰を落とした。

二秒ほどの沈黙。すると鉄雲は跳躍した。木々の間へと空へ姿を消した。木が生い茂って上空が見えない。一同が空を見上げる。

「!」

水無月は一瞬で右へ跳んだ。水無月がいた地面に拳一握りほどの鉄球が鎖を引いて落下してきた。続いて二つ目、三つ目と落ちてくるが水無月はどれも跳んで避けて見せた。一同が心配そうに水無月を目で追っていると鉄球は一同にも降りかかってきた。一発目はユイを襲った。

「危ない!」

そう避けんでユイは捕らえていた男を押し、跳んで一撃をかわした。

「は、話が違うぞ!!」

男の一人が混乱の中叫んだ。鉄球は次に名無しを襲った。名無しは捕らえていた男を地面に叩きつける勢いで姿勢を倒した。男が痛いと声を上げたが気にかける者はいない。舌打ちすると名無しは短刀を腰から抜き男の喉に刺した。目の前でユイはそれを観た。次に燕も捕らえていた男を押して手放し、動いた。背後から押された男は体制を立て直そうとしながら前のめりになった。ユイの前で体勢を立て直した、そのときだった。鉄球が男の脳髄を辺りにぶちまけた。角度から丁度男の首を切断している。血しぶきが首から飛び、ユイを襲った。目を閉じようとしたが遅かった。ユイが目を開けると視界は・・・真っ赤だった。ユイは急に震えだした。手がべとべとしている。

「い・・・や、気持ち悪い・・・!」

声になっていなかった。そこへ燕が飛びつき、ユイを抱えて跳んだ。燕の背後で地面に衝突する音が響く。

燕はそれを確認し、ユイを見据えた。

「!?」

何かが変だ。ユイがおかしい。

「ユイ、ユイ!!」

燕は震えて怯えついた表情のユイに声をかけた。

「ユイ!!」

「真月閃!!」

水無月の鋭い気合に、敏感に反応し振り向く燕。真上に振りかざされていた刀と、宙で肩から先が切断された鉄雲がいた。血しぶきを避けるためか、水無月は即その場を跳んで、同時に鉄雲が地面を打った。

「なんびとたりとも、この私に指を向けることは許さん。」

水無月は振り向きもせず平常心でそう言って、刀を頭上で回転させ、振り下ろしで一振りし、付着した血を飛ばした。いつの間にかその傍にいた名無しから布を受け取り、残った血をふき取って、丁寧に刀を鞘に収めた。ふと振り返る。燕と目が合った。が、燕は水無月の気が引いた目線が自分ではなくユイに向かっているのに気付き、振り向いた。ユイが、怯えていた。その目線は水無月の方にあった。



第五話 ―続―




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