燕 第七話:迷い
第一節―――――
―「巣」・道場―
「クッそぉ!」
ガクの悔しさが道場に響き渡る。
「ちょっ・・・ガク!」
主審のユイが声をかけた。
「チッ!」
ガクは堪えて立ち上がった。「もう一本だ。」
ガクは燕を指して言った。「もう一本、勝負!」
―出島―
物音がし、男は机の上に乗せていた足を下ろした。薄暗い天井の高い倉庫で、かすかな明かりを頼りに本を読んでいた。簡素な紅の表紙には異国の言葉が書かれているその本を閉じ、男は代わりにコートの中へと手を伸ばすと銃を両手に装備した。辺りを見渡すと、天井を見上げて男は言った。「そこにいる、のは、誰だ?」
返事はない。男は再度問いかける。「答えなければ、撃つぞ!」
銃のハンマーを引く。気まずい沈黙が丁度二秒流れて返事が帰って来た。予定通りだった。
「俺は影だ。」
男はその声に驚き、振り返った。そこに返事の声の主である、金髪の青年が立っていた。
「Hey! いつの間に!?」
男は叫んだ。男もまた、金髪だった。天井からの登場を予想していたため、急に背後から返事が帰って来たのに驚いていたのだった。
「お前が銃を天井に向けた時からだ。」
体が半分闇に溶け込んでいたが、男に続いて明かりのある机の方へ近づくにつれ青年の姿ははっきりと浮かび上がった。忍装束まとい、異形な武器を持った青年、リュウは男からいくつか袋を渡され、それを一本の刀と交換した。「銃があるのに何故銭ではなく刀を要求した、リオン。」
「手土産にほしかったのさ。」
金髪の男、レオンは答えた。名前はレオン、だが発音上はリオンが正しい。一見飄々とした所もあるが裏表のない信用できる表情と態度、彼は頭にゴーグルをつけたコートの男だった。異人故正確な歳は見分けられないが二十代に違いない。「それに、こいつは、」
レオンは銃を指で回して見せた。「遠い距離からぶっ放す、それだけで相手を殺せて勝負にゃ勝てる。相手だけが痛い目に合って俺は合わない。特にここじゃそーだ。刀相手じゃ銃は絶対的な力さ。」
笑ってみせたがリュウの表情は全く変わらなかった。笑いを退き、レオンは続けた。「たしかに、有力者って気分にはなれるだろうな。お前たちにとって、俺達異国の人間はどこかきどっている、常に有力者ぶってる、そう感じだろうに。だがな、俺はそんな喧嘩は、嫌いさ。強い力に頼って弱い奴、倒して嬉しくないのさ。俺の国にも、少なくとも俺には、ブシ道って奴はあるのさ。」
「素人が抜いても斬られるだけだぞ。」
リュウがぼそりとつぶやいた。レオンは笑って見せた。
「Hahaha! きついなー。ま、命に関わることにゃーなんねーつもりさ。危なくなったらBang!で逃げるさ。」
レオンは答えた。
「その刀、短めの物を取り寄せた。慣れれば片手で振れるだろう。危なくなったら空いてる手で銃を撃て。」
リュウはそう言ってもらった袋、中身は主に火薬や異国の作物、をしまった。
レオンは刀を手にとってみるがその重さに意外だという表情を見せた。「重いねー。お前さん達Japはこんな重いのをいつも持ってんのか。」
へっと笑ってレオンは刀を持った腕をリュウの前に突き出した。「重いもんいつも持ってる奴らにゃー、それだけ重い、強い信念ってのがあるんだろーな!」
リュウはレオンの方に向き直ってしばらく黙り込むと振り向き告げた。「お前もな。」
「ちと待った!」
姿を消そうとしたリュウをレオンは呼び止めた。「そういや、ここいら外人屋敷の、RONINについてだ。」
「浪人・・・。」
リュウはその場で止まって聞いた。
「ああ、一人は中国系で、今まで屋敷に居候していたんだが、急に二週間前に姿を消した。噂ではどこかに向かっているそうだが、何やら誘われたそうだ。それともう一人、金髪の英国人の浪人の話は知ってるよな?」
「ああ、前に聞いた。」
「奴、たまに帰りの船がないかってこっそり出入りしているんだが、それが奴の姿も途絶えてな、それも・・・」
「二週間前か・・・。」
「それとちなみに・・・そいつもアンタと同じ、」
レオンは言った。「金髪さ。」
―同刻・光邑生町―
「お帰りなさいませ。」
通りかかった、その宿で働く女性が声をかけた。「只今御部屋の準備を。」
そう言って女性は廊下を去っていった。玄関に残された青みのかかった黒髪の美しい女性はわらじを脱ぎ、履き替えた。隣にいた侍の男は一瞬目を離している隙に忍装束へと変わっていた。男、名無しは外出用の羽織を預かろうと、彼女の身からそっと手を寄せる。彼女、水無月詩織は半分身をゆだねるような気持ちでそっと手を出して羽織を脱いだ。
「師走殿への報告はいかがなさいましょうか?」
廊下を歩きながら名無しが尋ねた。「よろしければ私が報告を。水無月様はどうかお休みを。」
「いや、この時間だ。」
水無月が足を止めて答えた。「明朝にしよう。何より私はまず湯に浸かりたい。」
水無月は立ち止まって名無しへ振り向く。「お前も・・・湯に浸かってはどうか?」
躊躇しながら水無月は名無しを見つめてつぶやいた。見上げられながら名無しは無言でいたが間も無くして返事をした。
「いえ、私はのちほど。」
名無しは顔をそらして答えた。「何かあればお声を。いつでも駆けつけます、貴方のために。」
そう言って名無しは去っていった。残された水無月は心落ち着かぬ様子で顔を下げた。
日ごろ、堂々している分、一人の女性として振舞うのにはやはり普段の冷静さが欠け、落ち着かない。寂しさを胸に水無月は湯に浸かった。そこは巨大な温泉であった。だがこの戌亥の刻、もはや誰も湯に浸かっている者のなど見当たらなかった。従事手にしている白鞘を背の岩場に置き、水無月は湯に浸かった。
「(名無し・・・)」
水無月は心の中でつぶやいた。すると音が聞こえた。顔を上げ辺りを見渡す。「誰か・・・おるのか?」
返事はない。返事はないが、誰か近くの岩場の近くに今隠れているのが見えた。水無月は白鞘を取り、拭き物で体を覆いながらそこへゆっくりと湯の中近づいていった。岩の周りを回ってみると、そこに顔を隠す少女がいた。「何だ、」
水無月は安堵のため息をついて近づいた。「何故隠れる?」
湯気の中顔を隠す少女の姿に心地悪さ、というよりも水無月自信の信念の元、それを見過ごすのが嫌で水無月は彼女の肩を引き、顔を見た。そして水無月は案の定言葉に窮した、少女が予期したとおりに。「な・・・お前・・・髪・・・」
少女の髪は金髪だった。
第二節―――――
―翌朝・「巣」・イスカの間―
「葉月骸組、殺し屋時代の旧友・・・」
イスカはつぶやいた。そこには報告に来た燕、ユイ、ガクの三人がいる。イスカは深刻そうな顔つきで百舌を一瞥した。明らかに二人は何か事情を知っている様子だ。「ご苦労。睦月は光邑生町に居ることがわかった。」
「んでもって、コウも光邑生町に戻ってきてるっす。」
開いた障子からセイが姿を出して言う。「失礼。」
イスカの間に足を踏み入れ正座する。
「そうか、コウは?」
百舌が尋ねる。
「あいつなら、今日中に訪ねてくると思いますよ〜。」
「そうか、何かわかったか?」
「斬、」
セイがそう切り出した。燕は目線をセイの方に、反応を示した。「奴の居場所がわかりやした。」
セイは癖で、得意そうに上半身を乗り出して言った。「光邑生町です。」
「ユイ、燕、二十日前、道中で出会った浪人、鉄雲他四名が目指していた目的地はどこだと言っていた?」
イスカが睨みつけるように二人に問いかけた。
「えっ、・・・」
ユイはふと思い出そうとしたが思い出せない。あの時の記憶は・・・はっきりしていない。
「光邑生町・・・」
燕がつぶやいた。
「お前達と一緒にいた浪人の女と忍はどこへ向かった?」
イスカが尋ねた
「光邑生町です。」
燕が答えた。
「女の名は?」
「水無月、と忍が呼んでいました。」
燕の脳裏には鉄雲を二つに斬り裂いた水無月の姿が浮かび上がった。彼女は・・・強い。
「水無月・・・もしや。」
百舌がつぶやき、セイに向き直って言う。「水無月という女について調べろ。大坂の国の方面だ。」
「お言葉ですが、イスカ様・・・。彼女は決して悪い人では・・・」
ユイが遠慮する様に気弱な声で主張したが取り消された。
「その様な意見は控えろ。」
イスカが睨んだ。ユイはその目にぞっと寒気を背筋に感じた。
「情は抱くな」
百舌のその言葉は少しユイの心に刺さった。燕もまた、その言葉に対して思考を廻らせた。そんな二人に百舌は念を押す。「場合によっては斬る相手かもしれん。逆に斬られんようにな。」
「聞け。三日前、日光付近の幕府所属の光明寺が一夜にして全滅された。付近の民が気付かず、そして三十人も斬れるのはおそらくこの島でも限られているはずだ。」
「状況からして、おそらくは・・・」
セイがつぶやいた。「相当剣を極めた奴か、抜刀が速い奴か・・・忍くらいだな。」
―同刻・光邑生町・冬月亭―
「そうか、ご苦労。」
鬼の仮面をつけた、一回り体が大きい男は言った。「神無の情報網では今のところ、光明寺でのお前の活躍は大きな騒ぎにはなってはいない。浪人の仕業か大勢の山賊の仕業だと思われているらしく、徳川の動きは変わる様子はないな。」
「それは良いことだ。」
水無月は安堵と自信に満ちた表情で微笑んだ。
「師走、」
背後から声がかかった。水無月がはっと振り返ると知らぬうちに傘をかぶった黒い服の男が立っていた。いつの間に・・・水無月は不意をつかれた。
「文月か・・・。」
仮面をつけた男、師走が喋る。「お前、忍の方が向いているのではないのか?」
「フン!」
文月と呼ばれた傘の男は傘で顔を隠すようにして答えた。「くだらんな。」
文月は数日前、睦月が偽の情報で忍を仕留めようとし、失敗したという話をした。
「で、貴様は見逃したと言うのか?」
師走の隣に控えていた赤き羽織を着た長い白髪の青年が尋ねた。
「俺は殺し屋だ。」
文月は立ったまま答えた。「払えば殺す、誰でもな。払われなければそれまでの話だ。」
「貴様・・・!」
「殺てやる義理などない、そう言っている。」
「抑えろ、長月。」
師走が止めた。
「こらー!望月ー!!」
障子の外から怒鳴り声が聞こえた。「お前、掃除忘れただろー!!?あれほど忘れるなと言っただろうが!新しく来る客様にどうご説明すればいいことやら。」
「すみませ〜〜ん、旦那様〜。どうか〜、お許しを〜。」
よく草刈や雑用をさせられている中年男性の弱々しい声が聞こえる。
「新しい客人か・・・。」
水無月がつぶやいた。「同志か?」
「ああ。」
師走が言った。「一名異人が入った。いい腕はしているようだが内面が不安定だ。くれぐれも刺激するな。」
「異人か・・・」
水無月は昨晩のことを思い出した。
師走と会話をした部屋を後にした水無月と名無しだった。「しかし・・・」
水無月が顔をしかめて言った。「あの傘の男・・・腑に落ちん。」
「文月・・・」
名無しが言った。「本名は不明。殺し屋としての通り名です。今は無き、最大の殺し屋組織・黒凪屋の一人です。ただその過去はほとんど不明・・・。」
「ふむ、背後をとられるとは・・・侮れない男だ、それに、あの男、何か思うところがあるに違いない。」
「例のくの一の件でしょうか・・・。」
「くの一・・・」
水無月は立ち止まった。「二人のくの一・・・まさかな。」
―同刻・「巣」―
「あの隠れ家の町について知られていた・・・。それに元殺し屋、黒凪屋出身の浪人、」
イスカはつぶやいた。「間違いないな・・・文月か。」
「厄介になってきたな。」
百舌が表情を硬くしていた。滅多に人前では見せない表情だった。「で、何かあったか?」
尋ねると彼のすぐ傍の障子から声が聞こえた。
「予定通り、支障はないです。」
リュウの声だった。既に部屋には百舌とイスカしかいない。「目的の品は手に入りました。それと、独自に調べてみたのですが・・・」
第七話 ―続―