燕 第八話:動揺
第一節―――――
―「巣」・道場―
「とりやぁぁ!!」
セイは木製の篭手刀を装備した状態で素早く突いた。燕はそれを紙一重で避ける。紙一重だが、度重なるセイとの特訓のためもはや燕に動揺の色はなかった。すかさずセイの左腕が襲い掛かり、そして右左と連続で上下左右から連続突きが突き出される。だが燕はそれを紙一重で避けて見せた。竹光では一切受けていない。頼るは己の速さのみ。そろそろ燕が回り込むだろうと警戒し、セイは攻撃を換えようとしたそのときだった。セイの視界に燕は既にいなかった。「何っ!?」
あれだけの攻撃を紙一重でかわしながらも気付かれないように姿を消している。セイは振り上げかけていた腕を捻り、足を捻って常人ではない速度で向きを変える。丁度振り返ると竹光の刀身が迫ってきており、セイは少々動揺を見せたものの、それをかわし、弾いて見せた。弾いて即反撃に転ずる。だが、燕の姿はまたもそこになかった。「くっ・・・へっ。」
一瞬驚きを見せるがセイは完全に冷静さを取り戻し、その場で立ち尽くして様子を見る。背後から来る気配はない。左右を素早く目配りするが見当たらない。わずかな建物の木材がきしんだ音を聞き取り、セイは上を見上げた。
燕は天井を蹴り、逆さまに落ちてきた。両腕を広げ、臨機応変な構えを取るが燕は宙で縦方向に回転して落ちてきた。勢いも速さもあり、さすがにそれを受けるわけにはいかずセイは横へ跳んで避ける。そして燕の着地と同時に着地した己の足の勢いを利用し、前へと腕を勢い良く突いた。が、その腕より低く、燕は着地したと同時に間髪入れずセイの方へと勢いよく沈み込んでいた。そしてその細長い両腕にしっかり握られた竹光の刀身はまっすぐセイの左胸から一寸の距離に突かれていた。「へへ〜ン、やるね。」
座り込んでセイは言った。「燕ちゃんも強くなったね〜。」
向かい側に燕も座り込んだ。「努力の賜物ってか、まぁあれだけ必死に特訓ばっかだったからな。努力できる奴は、強くなれる!ってか・・・努力できりゃーそれだけで強い。」
セイが励ますよーに陽気に言った。「いや〜、全く、焦りや動揺する様子がなくなったよ。少し前までは弱気だったくせに〜。」
「私は・・・」
燕は如月戦後、ガクに弱気になるなと言われたのを思い出す。正直、ガクには言われるとは思わなかったため、あの後気を取り直して今に至る。知らぬ間にたくましくなったガクに対し少し悔しさがあったのかも知れない。「負けない。」
「へぇ〜それは誰に対して?」
セイはいたずらっぽい笑顔を見せて言った。「俺に?それとも・・・」
少し真面目さの入った顔で笑みを浮かべ言う。「朱雀?」
燕は動揺の色を見せなかった。「朱雀には負けない。あいつは・・・」
燕は強調して低い声で言った。「殺してやる。」
やはり動揺はなかった。そしてセイはそれを見逃さなかった。彼の顔はたまに見せるまるで予測していた、とも言える得意そうな、笑みを浮かべ同時に真剣みのある顔をしていた。二人の沈黙が短いうちに道場の入り口からの声がそれを破った。
「あの・・・セイさん。」
「おっ、なんだい、俺に用、ユイちゃん?」
セイが振り返って笑顔で答えた。
「コウさんがお見えになってますよ。」
「おっ!コウが!わ〜い、わ〜い。」
セイは飛び上がってユイの傍まで駆けて行った。「なぁ、今の話、どっから聞いてた?」
小声でセイはつぶやいた。
「えっ、」
急に訪ねられ、ユイは一瞬顔色を変える。「いえ・・・」
「あっそ。」
いつもの笑顔で笑ってからセイはまた小声で、ユイを通り過ぎる際に言った。「ユイちゃんは、燕ちゃんと違って下手だね、動揺を隠すの。」
そう言ってセイが去っていってから、ユイはセイが先程まで座っていた場所に腰を下ろした。
「ねぇ・・・燕。」
ユイは動揺を隠すように、しかしたしかに躊躇しながら尋ねた。「何で・・・強くなりたいの?」
ユイに対して燕は無表情だった。「何で・・・忍になったの?」
燕は無表情な、ユイから見れば居心地悪さを覚えるような無感情で冷たい目線でただ無言でいた。
「・・・朱雀さんを・・・殺すため?」
ユイは尋ねた。しばし短い沈黙が道場内に走る。「そうなんだ・・・。ね、そうでしょ?」
「朱雀は・・・!」
燕はしわを寄せて叫んだ。「朱雀は・・・私から奪った!私から・・・唯一のものを」
燕はそう言って立ち上がり、竹光を壁にかけた。「残されたのは・・・奴への復讐だけ・・・それだけ・・・」
最後の一言は低く、さびしくさえ聞こえた。その言葉を機に、燕は道場を去ろうとした。
「駄目だよ、」
ユイは振り返って去る燕の背に投げかけるように叫んだ。その言葉が燕を引き止める。「それじゃ・・・燕、人じゃなくなっちゃうよ!」
燕は振り返らなかった。ユイには燕の背しか見えなかった。「朱雀は・・・」
そのことを燕自身はどう感じ取っていただろうか。「人なんかじゃない・・・!」
その言葉は重く感じ取れた。その言葉を投げ捨てるようにして、燕はその場を去っていった。
「よぉ〜〜コウ〜〜!!」
セイの陽気な声が放たれる。両手を大きく振りながら走りより、セイはコウの肩を叩いた。「久しぶりだな〜〜元気、元気?」
「ああ、お前は相変わらずのようだな。」
コウは微笑を浮かべて答えた。
「奈々さんは〜?」
セイが茶化すような顔をして尋ねた。
「妻は元気だ。」
コウは気にせず明るい表情で答えた。「ところで、何か変わったことはあったか?」
「何?特にないぜ、皆元気だ」
いつも以上に陽気に答えるセイだったが何か誤魔化す、または試すような感じがあった。
「ユイは?」
少し真面目な顔になってコウが尋ねた。「あれで元気なのか?」
「う〜ん・・・まぁあれはあれで訳有りぽいわな。」
セイは間を置いて答えた。「ちっと前まではね〜、ちょっかい出すのが楽しかったんだけど〜、なんか最近暗いね〜。」
「最後に見たのは今年の正月だったが・・・お前似で強い子だと思ったんだがな。」
「ま、悩みごとって奴だな。」
セイも悩むような顔つきをして答えた。「あいつらは、俺達とは違うぜ。」
その一言を聞きコウは7年前をふと思い出した。「それにあいつらは女だ。俺達にゃ〜わかんね、特別な感情ってのもあんだろ。」
しばらく黙ってからコウは尋ねた。「どうやらお前の気に掛かっているのはユイの方ではないようだな。」
「ああ。さっすが、コウ。」
一旦陽気な声を出してからセイは声を低くしてささやくように言った。「燕だ。」
「そうか、」
コウはため息をつくように言った。
「あいつは朱雀を鏡に映した虚像みたいなもんさ。」
セイは断言するように低い声で言った。「あの調子じゃ〜、朱雀より性質の悪いもんになっちまう。忍としては、最高なのかもしれないがな。」
「朱雀はあの一件があったからな。」
顔をそらすようにしてコウが言った。
「ああ、逆に不安定にはなったが・・・何とか保てるようにはなってるさ。なんせ・・・八年前だしな。」
セイも顔をそらすようにして答えた。「ただ、燕にもそういう、きっかけが訪れれば・・・」
第二節―――――
―「巣」・滝―
ユイは滝に打たれていた。正座し、薄手の着物一枚を着込み、ガクが打たれていた滝に。目をつぶって回想する。
「なんで、ガクは滝に打たれるの?」
「なんでって、そりゃ」
ユイの曖昧だが最も根本的な質問に対しガクは答えた。「滝に打たれていると落ち着けるんだよ。落ち着いて、自分を抑えることができる。自分の気持ちを。」
「自分を、抑える・・・」
疑問系のような言い方でユイは繰り返した。
「お前も、打たれてみればどうだ?」
滝に打たれながら回想を交え、ユイは思考を巡らせていた。ガクはかなり落ち着いた性格になった。少し前まではというと、何かとすぐ怒り、悔しがり、単純な性格だったが今のガクはユイには理解しがたかった。
また、燕のことも引っ掛かった。ここ三日、全く話さない。もともと大人しく遠慮がちで喋らなかったが、ユイが話かければちゃんと応えてくれていた。かすかに明るさを示してくれた。だが、最近はまともに応えてくれない。その上話しても何か、とても冷たさを感じる。まるで心がないようだ。どうすればいいのか・・・。
そして未だに私情が出てきてしまい、動揺しやすい自分。だがユイにはわかっていた。燕の姿は忍そのものだと。そして燕はもはや私情などない、ただ殺意と強くなるという意思、そして朱雀に対する負の念意外は。決してユイのように動揺したりはしないだろうと。忍として心動かずは当たり前だとわかっていた。ゆえに、燕も、そしてガクも立派な忍に、より強い忍へと成長しているのも理解できた。だがそれを認めるのがユイにとっては怖かった。三人の頭役を務めてきたことも過去の二人を知っていることもあって、てっきり自分が面倒を見る側、責任者だと思っていた。だがそれならば失格だ。ガクはすぐ感情的になる、燕は戦闘ばかり望む、二人より自分の方がしっかりとした忍であり・・・強いと思っていたが完全に立場が逆転した、自信は打ち砕かれた。そしてまたそれに対し動揺する自分はさらに見苦しかった。そして・・・
「はっ!」
ふとそのことに考えが及んだ時、初めてその気配に気付いた。目を開け、とっさに横を振り向く。
「気にするな、続けろ。」
滝の横に立ったままリュウは声をかけた。ユイは顔を低くして、落ち込んだ表情で目を閉じた。
―「巣」・イスカの間―
「リュウと一緒に山を下りろ。お前にはしばらく光邑生町にて待機してもらう。」
イスカが告げた。場には百舌とコウとセイの三人がいる。
「承知。」
コウは答えた。
「万が一のことがあれば、」
イスカが告げる。「お前の居場所が隠れ家、治療場となる。今度の一件は手間が掛かりそうだ。覚悟しておけ。」
「承知。」
コウが答えた。
「もう一つ、警戒しておくべきことがある。」
イスカはまゆを細めて告げた。「この一件、文月が関わっている可能性が高い。」
それを聞き、コウも一瞬驚きの表情を隠せずにいた。
「セイ。」
百舌が声をかけた。
「へい!」
いつもならお得意な顔を前に突き出すセイだが『文月』の名とともに変わった空気の流れに逆らわぬようにか、控えて真面目に応える。「それが・・・奴に関して調べてみたんですが・・・」
セイは息を呑んで慎重に答えた。「調べさせていた、俺の情報網の忍が・・・先日死体で見つかりました。」
「お見通し、というわけか・・・」
コウがつぶやいた。
「最後にわかったのは、」
セイが続けた。「奴が仮面をつけた男と何度か顔をあわせていたことです。」
「仮面・・・!?」
百舌が珍しく動揺を見せる。その場にいた一同はそれがこの一件がただ事ではない、と暗示していることを身に刻んだのだった。「まさか・・・戦国の亡霊、奴か。」
「野郎か・・・だとすると」
イスカも不機嫌な表情をさらに曇らせ、事態を相当重く見ている様子だ。「これは放っておくと相当デカイ火種になるな。」
―「巣」・滝―
「俺は一刻後に山を下りる。今度の一件は厄介そうだ。」
リュウは塗れた髪と顔を拭き物で拭くユイに見向きもせず告げた。「また、しばらく戻らないかもしれん。」
相変わらずユイの表情は元気がなかった。「どうした?」
「えっ?」
「元気がない。お前らしくない。」
リュウはユイの頭に手を置いて言った。リュウは入れ替わりに滝の方へ一歩近づくと装束の上着を脱ぎ、それを背後からユイに掛けた。「間も無くして雪が降る。」
「そうなんですか?そうですよね、リュウさんがそう言うんですから。リュウさんの、雪の予言は外れないですものね。」
「滝に打たれたままその格好では体に良くない。」
ユイは呆然と立ち尽くし、リュウの背中を、憧れの背中を見つめいた。「傷や穴だらけですまないが、その装束はお前にやる。」
そう言って上半身裸でリュウは滝の中へと入ろうとした。
「待って、リュウさん!」
ユイの声が引き止める。リュウは振り返りはしなかった。ユイは落ち着こうとした。何を言えばいいのか。着込んだリュウの上着からはぬくもりが感じられる。リュウの優しさが。「リュウさんは・・・どうしてそんなに優しいんですか!?」
短い間沈黙が流れた。一瞬リュウの顔が覗き込むように横へ振り向いた。ユイにはリュウが質問の意味に困惑しているように感じられた。慌てるように付け加える。「いや、その・・・!リュウさんには、か、感謝してます!や、や、優しく、してもらって・・・嬉しいです。」
ユイの胸の内はどんどん熱くなっていった。「ただ!なんで、リュウさんだけ、リュウさんだけは優しくしてくれるんですか・・・?」
どんどん熱くなっていった。自分の疑問の答えに対する欲求とかすかな希望や甘えともいえる気持ちに対する期待だった。
「当たり前のことをしているまでだ。」
リュウは答えた。ユイは少しほっと落ち着いた。自分の動揺、優しさという感情は悪いわけではないのだという希望。「それにお前が俺の責任だからだ。」
リュウは振り返り、ユイの頭に手を置いて言った。「お前を連れてきたのは俺だ。お前に何かあれば、俺が後を見る。」
第八話 ―続―