燕 第八話:動揺
第三節―――――
―光邑生町・冬月亭―
鬼の面を被りし大柄な男、師走はその場に立ち竦んでいるだけで観る者に威厳と威圧を与えるような雰囲気を漂わせ近寄りたがく感じさせるようだった。だがそれは達人や偉人といったたたずまいである。決して脅威の対象としての威圧感ではなかった。実際は優しい賢者のように見えるものだ。だがそれ故にまたたやすくは話し掛けづらいだろう相手だった。既に日は落ちかけており、辺りは薄暗く提灯の明かりで鬼の面に反射しよりいっそう師走を近寄りがたくしていた。そこへ綺麗な長髪白髪の青年が歩み寄って声を掛けた。
「師走様、例の荷がまだ届いて下りません。」
青年にはどこか、疑い深い様子で告げた。「あの大事な荷、下手に目をつけられては困ります!」
「そう焦るな、長月。」
師走は落ち着いた声で言った。「おそらく路に迷っておるのだろう。」
師走は青年、長月へと振り向いた。「念入りに・・・」
言いかけたところでどこからもなく女の声が割って入る。
「私がいる・・・」
「なっ!?」
どこからもなく聞こえた声に敏感に長月は反応し、警戒した。
「私だ。随分と落ち着きがないじゃない、ボウヤ。」
「ぼ、ボウヤだと!?き、貴様っ!」
長月は頭に血を上らせ叫んだ。「それに姿を見せぬとは無礼だぞ。師走様に失礼だ!」
「待て、長月。」
ふっと笑って師走が止めた。「神無は忍だ。それくらい許してやれ。それより神無、どうだ様子は?」
「見つけたわ。今丁度光覧通りの裏通りを通ってる。どうやら本当に路に迷った様ね。」
神無は真面目な口調で答えた。元々普段の声もどこか冷たさと虚ろさが漂っている。「ただ、どうやらねずみがいるみたい・・・。」
「ほう。」
師走は興味深そうに声を上げた。
「遅れた原因はむしろそっちね。調べてみたら明らかに光邑生町の南西に面した山道で何かあった様子よ。しかも、どうやら人為的にされたものらしい・・・。その隙をついてねずみがあの荷台にもぐりこんだようね・・・。」
その口調には何か抑える感情のようなものが感じられた。
「よし、」
師走はうなずいて告げた。「長月、お前はその荷台を迎えに参れ。」
「承知しました、師走様!」
長月は告げて腰の長刀に手を伸ばして問う。「ねずみはいかがなさいましょう?」
だが長月のその発言は制された。
「そのねずみは私が殺る。他の者に殺させはしない・・・!」
神無の語りに常にどこか感じられる虚ろさ、その正体が現れた様に感じられた。その言い草にどんなに鈍い者でも神無が感情的になっているのが感じ取れるだろう。生憎その場に鈍い者などいなかった。
「ということは例のくの一か。」
師走が納得するように言った。「二人とも手は出すな。できるものなら排除してもらいたいところだが、夜中といえど騒ぎを起こされては面倒だ。案ずることはない。」
確信の笑みを浮かべ、師走は告げた。「それにいずれその機会は訪れる。奴らから火に飛んでくるものだ。」
「ふん、」
神無は言った。「私は少し出てくる。もう少し町の様子も見てくる。それと買い物もあるから・・・。」
「睦月の者にさせればよかろう。」
師走が勧めたが神無は断った。
「いえ、いいわ・・・。どうせ今はこの姿だし・・・自分の足で出てくるわ。それに・・・」
神無の虚ろさに哀しみが被った気がした。「買うのはお線香だし。あの子のため・・・だから私が買ってこないといけない。」
寂しげにそう言って神無は去っていった。気配から、去っていったことが残る二人には何となくわかった。
「では、私も荷を迎えに参るため、失礼させてもらいます。師走様、どうかお気をつけて。」
長月は念を押すようにそう言って去っていった。
残された師走は一人つぶやいた。「静かになったな、ここも。」
水無月が浪人二十人を名無しの助けはあったもののほぼ一人で殺めず倒したことをきっかけに冬月亭では誰も水無月に逆らう者はいなかった。もちろん反発した者も中にはいたが、水無月の背後や寝込みを襲った者はことごとく名無しの返り討ちにあい酷い目にあっていることからもはや反抗する者もいない。だが代わりに皆に一種の落ち着きと大人しさが現れ、浪人達が水無月の下にまとまりつつあった。「少し前までは血気盛んであったのだが・・・」
師走は振り返って腰の刀へと手を伸ばした。「仕方ない。私が少し場を盛り上げるか。」
そう言って笑みを浮かべながら庭の前に面した森の中へと足を踏み入れていった。
深い森の中だった。そのまま突き進めば山、左右どちらも方向次第では町の人気無い通りへと出る。睦月の所有する、規模の大きな敷地内であった。その中を師走は一人歩いていた。もしその場に一般の浪人や通りすがりが見ればそれを鬼と噂するだろう。そうして伝説は勝手にでっち上げられるのだろうか。鬼とは、物の怪の類ではなくそれらは全て人の形でありそれを人が拒絶するがために化け物といった物言いになるのだろうか。師走は念頭でそう考えながら歩いていた。「あの御方も、鬼と恐れられたな・・・。」
一人虚しそうにつぶやいた。
その姿を近くの木を背に、様子を覗う影があった。リュウは静かに冷静に、気配を消してその静寂な空気の流れに身を共にし、決して油断も隙も出さずに立っていた。それは完璧と言っても相違なかっただろう。しかしリュウはその完璧な状態から素早く脱した。何と、真後ろで刀が静かにしかし速く抜かれる音が聞こえたのだ。
「!!」
その完璧な状態だったが故にその金属音に動揺を隠すことはできなかった。常人ではその完璧な姿勢を作り出すことが安易ではないが、それでもその状態でその音を聞けば驚いて反応が遅れてもおかしくはなかった。だがリュウは驚くよりも、動揺を見せるよりも速く背にしていた木から跳ぶ様に離れた。
リュウが跳んだのと、音と刃がリュウの背後から襲い掛かってきたのはほぼ同時と言ってよかった。並みの剣客でもまずできない無駄なき動きといえる。まさに・・・。この場でリュウに考えられる相手は一人しかいなかった。「くっ!」
リュウは受けきれず避け切れず斬られた横腹を押さえた。大した傷ではないのが幸いだ。最も相手も急所を突こうとした様ではない。故に目の前の相手が何を考えているかも理解しがたかった。リュウはその相手を睨んでいつでも反応できるように気を張った。
「久しぶりだな、リュウ。」
文月は刀から血を飛ばしてつぶやいた。「六年ぶりか・・・だがお前はあの頃から立派な忍だ、変わっていない。それに何より・・・その髪を見れば見間違えるはずもない。」
「文月・・・!」
リュウもつぶやいた。
「無駄な挨拶や旧知の仲の会話など、我々の間にそんなものは無だ。」
文月は刀を鞘に収めた。そして警戒するリュウに告げる。「俺の相手はお前ではない。安心しろ、お前の相手は、」
そう言いかけ顔をリュウの右へ向ける。
「!!」
リュウは急いで異形の愛刀、太く重い棒の先に巨大な異形の刃を備えた武器を回転させ、右前方から襲い掛かった太刀を受け流し距離を取った。そこには鬼の面をした、そう師走がいた。唯一明かされている師走の顔の一部は笑みを浮かべていた。
―光邑生町・冬月亭手前の通り―
「こっちだ!」
長月が声を上げ、荷台を案内していた。「待て!」
長月は荷台を止めた。「中身を見せろ。」
そう言って恐縮がる使用人を押しのけ、荷台へと近づいていった。長刀に手を置く。愛用の武器ではないものの、常に腰につけている武器に変わりはない。やはり例のくの一のことが気がかりになり、長月は警戒しながら荷台の後ろへと中身を拝みに一歩ずつ進んだ。
「長月様!」
後ろから浪人が一人冬月亭から駆けつけ声を掛けた。
「どうした!?慌ただしいぞ!」
振り返って長月が応答する。
「いえ、そ、それが・・・」
「はっきり言え!・・・はっ!」
長月は気をとられてしまったが即振り返って荷台の後ろへと回って中身を除き見る。中を見渡し、実際中に入ってみるが誰もいない。「ちっ、それで何だ?」
男に振り返って長月は尋ねた。
「そ、それが、屋敷の庭に面する森の方でなにやら騒ぎが・・・。目撃した者によると師走の旦那と忍らしき者が交戦中のようです!」
「様と呼べ!軽々しくその様な呼び方をするな!!」
眉間にしわを寄せ、長月は男を荷台に叩きつけた。
「・・・・・・」
長月の気が一瞬それたその隙に燕は素早く荷台から離れ、傍の庭の中へと身を潜めた。都合よくその民家は留守だったが、それは念入りのため荷台を屋根伝いに追っていたユイの確認の下承知の上でだ。壁越しに長月の会話に耳を傾けている。ユイもまたその会話を燕の隣で聞いていた。
「ちっ、睦月を呼べ!この荷台は奴に任せろ!」
長月は叫んで冬月亭の中へと駆けていった。
燕は冷静に耳を傾けていたがその横でユイは動揺していた。リュウが中で戦っていることはわかっていた上、敵側にどれほどの手練れがいるかは既に経験済みだ。そしてリュウの相手はその中の指導者と推測される師走という男だ。ユイの中で胸騒ぎがした。嫌な予感がする。そう、とてつもなく嫌な予感が。
第四節―――――
―冬月亭・森―
師走の二刀の斬撃が振り下ろされる。リュウは跳んで避けるが疲労が溜まりつつある。師走は大柄とも見て取れるわりに無駄な筋肉が一切ない様子で、素早い太刀と洗練された経験に経験を重ねた動きには無駄がなかった。忍のそれとは異なるが十二分に匹敵するものであった。そして彼に恐れや退く気配はない、それは目の前の男が相応の自信家なのかそれともどれだけの死地を駆け巡ってきたのだろうかと想像を掻き立てる。何より二人の戦いを追うように知らぬうちに回り込んでくる文月への警戒も大きかった。と、その文月が口を開いた。
「俺は攻撃しない、今はな。」
なおも攻防をやめぬリュウにしっかり聞こえるように移動している。「俺が相手だと、怖いか、リュウ?」
「くっ!」
異形の武器を回転させ、リュウは師走へと斬り込んだ。回転し、下から刃が師走を襲う。だが師走もまたその変わった武器、形状は刀だが刃が鋼の棒となっているものでそれをうまく二刀を的確な位置で受け、勢い良く叩き落とす。一瞬リュウの姿勢が崩れたのを見逃さずすかさずその両肩へと重い斬撃を振り下ろしそれはリュウに当たった。滑るようにしてリュウは下がる。
「ふん、なかなか良い腕前だな。」
師走は楽しむような笑みを浮かべ言った。「戦うのは久しぶりだ。それに貴様、その武器、その髪、その格好、そしてその力量、どれも面白い者と手合わせできて嬉しいぞ。」
「くっ・・・」
リュウは間一髪で直撃は免れた。だが両肩に激痛が走っている。骨は大丈夫かもしれないが、先の一撃で筋肉への負担が大きく斬り傷も染みる。その上文月に横腹を刺されたのが戦闘上致命傷とも言えた。
「騒がしいな。」
一方、冬月亭の屋敷の方で水無月がつぶやいた。名無しが短く水無月へ状況をささやいて教えた。「師走本人がか?他の者は?」
「一部の者の間では忍相手には忍をと言っておりますが、神無が外出中ゆえ、今は私しかおりません。それとほとんどの浪人は血気立っていますが自ら戦いへ挑むつもりはないようです。」
「師走、触らぬ鬼に・・・か。」
水無月はつぶやいた。「私も参戦するつもりはない。これ以上の混乱を招かぬため、今はここで私が抑えよう。それに、この騒ぎで奴がいないとなると、おそらくは既に動いているはず。師走と一緒のはずだ。」
無論それは文月のことを指していた。水無月は庭に集結しつつある浪人達へ、屋敷の廊下から叫んだ。「案ずるな!ことを焦っても始まらんぞ!師走が戦っているのは森の中だ。その人数で押し入っても同士討ちになりかねん。それに狭いところでの戦闘には忍の方が長けている。逆に逃げられるか斬られるかだ。まずは騒ぐな!落ち着け!」
その声に皆は騒ぐのをやめ、視線を水無月へと向けた。その目は以前倒されたことに対する恨みや悔しさ、女に対する男の見下したような目つきではなかった。皆が皆、その迫力に落ち着きを取り戻し、辺りは次第にまとまりが出てきた。そこへ長月が片手に身長と同じ長さの巨大な刀を手に駆けつけた。
「私は師走様の下へ助太刀に参る!」
辺りを見渡し、事を理解した長月は水無月に告げた。「この場はお前に任せたぞ、水無月!」
言うや否や、即森の中へと駆けていった。が、そこで長月は刀を傾け剣を交えた。「貴様は・・・斬!何の真似だ!?」
剣を交えている斬は退き、そして森の方へと駆けようとした。「待て、貴様!ここで待機していろと言っ・・・」
言いかけるが斬にはまるで聞こえていない。と、彼の行く手を一本の十文字槍が阻む。斬が止まって、槍を斬りおとそうとするとその槍は引き、回って斬の後頭部へ打撃を浴びせた。
「卯月。」
水無月はつぶやいた。滅多に部屋の外へ出ないという例の優男だ。
「ゴホッ、ゴホッゴホッ!!」
卯月は咳き込んで前のめりに倒れかける。とそこに斬の太刀が打撃に衰えることなく襲い掛かる。だが間一髪、咳き込むと同時にそのまま姿勢を前に思いっきり倒した卯月は、起き上がった斬の一撃をかわして軽やかに一歩下がった。
「ハッハーハッハハハーー!!」
後頭部を打たれたにも関わらず斬は起き上がり、卯月へと斬りかかる。最も、もし斬を知る者が見れば彼の太刀筋が甘いのが理解できる。彼が卯月を味方と認識しているからだろうか、卯月は斬の刀を受け止め、膠着状態となる。
「冷静に!落ち着くのです。今はその時ではな・・・グッ!」
卯月は急に片手で口を押さえ咳き込んだ。斬の刀が迫るが、卯月の頭の手前で止まる。
「そこまでだ。」
水無月の刃が卯月を押すと同時に前のめりになる斬の目の前に位置していた。すると斬は皮肉そうな、つまらないと言わんばかりの表情をして刀を引いた。そして今度は水無月へと斬りかかる。さすがの水無月も斬の不可解な行動には驚きを隠せなかったが、その太刀を素早く受けた。激しい金属音が鳴り響く。気づけば名無しの刃が二人の間で二人の刃を受け止めていた。
「水無月様に刃を向けるのならば・・・私が容赦はせん・・・!」
突き刺さるような鋭い目つきで名無しが斬を睨みつける。三人の間にかすかな刃軋りのみが迸る沈黙が流れる。
「いい加減にしろ!」
長月はその沈黙を制すると、森の中へと駆けていった。
「クッ!」
斬は名無しへと顔を向けると空いている左手を振り上げた。咄嗟に横向きに受けていた名無しが動こうとする。
「やめろ!」
二人の動きを静止させたのは水無月の威圧ある叫び声だった。「長月殿の言う通り・・・いい加減にしろ!」
水無月は睨んで鬼の様に告げた。見れば斬は圧倒されたのか、怒鳴られた子供のような驚愕を見せている。冷静を取り戻すと共に、刃を交える彼の表情は先程の快楽のそれではなく、どこか苛立ちがあった。刃の張り合いからもそれが感じ取れた。様子が少し可笑しい気がする。
斬は退き、刀を水無月に向けてからまゆを上下させて刀を納めた。水無月の前には名無しがしっかり刹那にて攻撃に転ずることが可能な体制にある。かすかな時間が過ぎ、緊張状態がやっとのことで解けた。「お主、無事か?」
水無月は卯月へと向き直った。
「助太刀、感謝致します。」
卯月はそう述べ起き上がった。斬を一瞥して告げる。「彼は・・・動揺しているのです。今の現状、そして貴方が先日浪人達を倒したことで気が立っているのです。」
「先日の件が関係しているのか?」
水無月が尋ねた。
「彼は、自分も戦いに参加したがっているのでしょう。彼はただ己に対し純粋で正直であるだけ・・・自分らしく、そう勤めているのでしょう。ただ、このような事態に対し敏感で、動じているのです、彼は。」
卯月がそう告げると水無月は尋ねた。
「お主は、動じぬのか?」
「私は・・・」
卯月は月を見上げつぶやいた。「もう動じることはありませんよ。」
答える卯月は己を悟すような口ぶりで言った。
第八話 ―続―