燕 第十話:復讐
第一節―――――
「ユイー―――――――!!!」
戦慄と静寂、白と黒、その中に飛び交う赤い血。
寒い気温と生暖かい血、あらゆる存在が互い違いにあるなか、沈黙を破って響くのは燕の悲鳴。
「もらった!!」
神無は力が緩んだ燕に対し、気遣い無用で刀を弾くと、小太刀を回して燕の胸へと振り下ろした。燕は弾かれ体制を後方へと崩したが、その時に前方で、ユイに何が起こっているかをその目に焼き付けた。時同じくして、燕の胸に神無の小太刀は食い込む刹那だった。
「はあぁぁあ!!」
長月の剣さばきはあたり一帯の木々を全て斬り倒していった。間合いを取ったリュウ。いかに彼が重い武器を振り回していようにも、長月の剣さばきには目立つほどの隙はなかった。だが、リュウは構えなおすと、長月の剣が振り上げられた間を狙って一気に距離を縮めた。だが長月は軽々と手首を捻ってリュウの左へと剣の軌道を変えて薙ぎ払った。リュウは武器を回転させ、両腕で武器ごと長月の剣を受けた。だが重量武器ゆえのその威力、長月から見て左へとリュウの体は押され、足が地面を滑った。押されるリュウは背後の大木へと迫っていた。リュウは押し返すように力を入れ、その勢いで跳んで背後の大木に足をつけた。と、ほぼ同時に長月の刀はその大木を横へと一閃した。そして驚くことに、間髪入れずに長月は燕返しでリュウの足つけている位置へと刃を返して大木をもう一度斬り裂いた。轟音が辺りに轟き、砂煙が上がり、木々から鳥が飛び去り騒ぐ。そこにリュウの姿はなかった。「!!」
長月が気付くと、リュウはすぐ真後ろの、しかも頭上に飛び移っていた。そして木の太い枝を蹴り、長月の背後へと勢い良く斬りかかった。「させるかっ――――!!!」
長月は無駄ない動きでそのまま剣を肩に乗せる形でリュウのいる真後ろへと刃を返した。二人ともまるで常人技ではない動きをする。リュウはそれを宙に逆さでいるのにもかかわらず一瞬の焦りを見せることなくしっかりと受け、跳ぶ。そこへすかさず振り返った長月の横振りが襲う。煙が上がり、また轟音が辺りに響く。大木が倒れた勢いで雪が跳ね上がる。やはりリュウの姿はそこにはない。「くっ!ちょこまかと、小賢しい真似を!!」
長月は歯を食いしばってリュウを探し、剣を振り回した。リュウは木から木へと飛び移り、長月は翻弄されるようにそれを追って剣を振るう。だが両者ともども未だ相手に一撃を当てる機会がない。さほど経たないうちに、といっても二人にとっては充分に長い、緊張感で張り詰めた時間ではあるが、長月は丁度木へと足をつけたリュウへ突きを刺すことに成功した。再度轟音が鳴り響き、気付けば静まり返っている辺りに長月の荒い意気込みが聞こえる。「は!」
長月がよく見ると、なんと彼の直線上にリュウはいた。それも器用なことに、剣の刃の上に。長月は悟っただろうか、リュウはあえて長月が突きを出し、大木へと突き刺すのを誘っていたのである。細長い長刀のような剣である。一度木に刺されば真っ直ぐ抜かざるを得ないのである。リュウは長月が突いたとき、短めの槍ほど長さを誇り同時に重量を持ち合わせた愛刀を回して、絶妙な感覚で長月の刀に当て、その刀を軸に身を浮かせて今の場所にいるのである。明らかに常人技ではない。長月にはそれが、いくら忍といえど成せる技とは到底思えなかった。「(こいつ、人間か!?)」
舌打ちし、抜こうとするももはや遅し。リュウは彼の元へと刃に沿って跳んでいた。「くっ!」
長月は咄嗟に片腕を顔の前に出して顔を隠した。
「!!」
リュウが跳んだ直後に彼と長月をはさんで刃の上に文月が跳び乗ってきた。文月はリュウに背を向けるように構えると、目に追えぬ速さで抜刀した。それも何度も。リュウは前に出した腕の篭手と後ろに構えていた愛刀を前に出し受けようとしたが、一度勢いをつけてしまった体勢では受け切れなかった。「くっ!!」
丁度リュウが体勢を崩した時、長月は足場となっていたその剣を抜いた。そして、即剣の向きだけ変えて突く。リュウは間一髪体勢を低く、横へ跳んで避けた。だが長月は刃を返し、リュウへと刃を振った。文月の連続高速抜刀によって肩と腕にいくつかの傷を負い、大木を背にした状態ではリュウにそれを回避する術はできなかった。
第二節―――――
神無の小太刀が燕の胸に突き刺さる直前だった。燕は水無月同様、ユイに何が起こったのかを丁度理解した。同時に気を取り戻り、間一髪身をそらして左へと跳んだ。「ちっ!鎖帷子か・・・」
神無は毒づいてつぶやいた。裂かれた燕の装束の下からは鎖帷子が姿を現した。それがなければいくら跳んだといえど死にいたる致命傷だったであろう。
「ガク――――!!」
燕は叫んだ。
「ぐっ・・・クソ、畜生オ―――-―!!」
ガクの叫び声が帰って来た。
「水無月様、お下がりを。」
名無しが手を差し出し、忍び刀を抜き取って前に出た。
「仲間か・・・」
水無月は二歩下がってつぶやいた。彼女の前に、ユイを背から抱いてかばうように倒れているガクがいる。
「ユ・・・ユイは・・・」
燕がおそるおそる尋ねた。
「余所見してんじゃないよ!」
神無が燕へと斬りかかった。とそのとき、燕を挟んだ向かい側から刀が振りかかってきた。刃と刃が交差し、弾かれる音が響いた。「くっ!」
「ヒャッハッハーー!!」
燕に斬りかかっていた斬は神無に向き直って笑って見せた。
「貴様!敵が・・・敵が違うぞ!」
その一瞬の隙に燕は跳び出し、振り返らずにガクの方へと駆ける。ある程度、事態が把握できる距離まで行くと、燕は立ち止まった。辺りは静かだった。血の色が混じった白い雪の上に横向きで倒れているユイの顔は髪がかかって見えなかった。ただ、冷えてきって蒼白い口元だけ。真っ赤に血で染まった、小さく開いたまま動かない口元だけだった。
「嫌・・・」
燕は膝をついた。「嫌・・・ユイ・・・ねぇ、」
燕の顔は震えていた。「答えてよ・・・」
するとガクが体を起こし、同じく震え、顔を上げた。燕は初めて見た。ガクが涙を流しているのを。歯を食いしばってガクは、泣いていた。燕も、その光景に、頬に涙が流れていた。
ガクは叫んだ。
「クソォ―――――!!!」
ガクが精一杯左の拳で地面を殴った。
「そんな・・・・・・」
燕の目が潤んで、そして、大粒の涙を流しだした。それは数年ぶりの、数年ぶりの涙だった。「ユイ―――――――!!!!」
「ここは私が」
名無しはガクへと近づき、忍び刀を回すと構えた。横たわっている少女の背には大きな、真っ赤で深い斬り傷がある。そして青年の忍の方、ガクは右腕を斬られ、酷く出血している。水無月の一閃を喰らって無事で済むはずがない。名無しはそれを理解していた。「達者!」
そう言って忍び刀を勢い良く突こうとした。
「フッ、他愛無いわね・・・。でも、それでいい。それで・・・アタシの様に・・・悲しんで、」
神無が燕の背後からつぶやいた。燕は聞こえたのかそうでないのか、両膝をついたまま両手を地面に、雪を握り締めるようにして泣いていた。「そして・・・」
大きく目を見開いて叫んだ。「死になさい・・・私に殺されて!」
跳んで神無は燕へと小太刀を振り上げた。が、次の瞬間。「!!」
彼女は凄い速度で駆け抜けてくるその気配に感づき、舌打ちした。「しまった!」
燕を殺すことに固執しすぎ、近づく気配を覚るのが遅れてしまったのだ。「はあぁぁぁ!!」
風を斬るようなもの凄い速さで近づいてきた影に対し、神無は宙で身を無理矢理翻し、蹴りを出す。だがその影はさっと彼女の蹴りを避け、彼女の背に軽く斬り込んで行った。「ぐっ!」
神無は雪の上を滑るように着地すると、肩越しに手を伸ばした。大した傷ではない、かすり傷だ。その影は丁度燕の真横を急停止するように足で滑って鎖分銅を投げつけた。
「!!」
ガクに突きを出しかけていた名無しはその鎖分銅とその軌道を一瞬で見極めると、即座に、迷わずその刀の軌道を変えた。「はああぁぁ――!!」
勢い良く振り返って刀を振り上げる。それによって鎖分銅は宙へと軌道を変え、落下する。名無しはその変化した軌道を見ると、血相を変え、振り返ると同時に水無月へと跳びついた。彼女をかばうようにして雪の上に名無しは倒れた。勢い良く飛んできて、そして弾かれた分銅は落下し名無しの背に打撃を与えた。「くあっ・・・!」
「名無し!無事か!?」
水無月が如何にも心配そうな顔をして叫んだ。
「水無月様こそ・・・御怪我は?」
名無しは水無月を抱くような形で倒れたまま尋ねた。
「無事だ。お主こそ・・・」
そう言いかけている間に名無しは水無月の体を起こした。
「体を冷やしてはいけません。」
名無しは両手で水無月の肩を掴んだまま、燕達の方へと振り向く。鎖分銅のもう一旦を手にしている忍がそこにいた。
「おい!!顔を上げろ、燕!!顔を上げなって!!オイ、燕ちゃん!」
その忍は叫んだ。
「はっ!」
燕は顔を上げ、見上げた。見慣れない、忍装束姿のセイがそこにはいた。「セイ・・・さん・・・うぅ・・・ぐ」
燕は小さく声を上げて泣き顔を見せた。その時燕は見た。彼女の眼前に水無月がいたのを。名無しに護られし水無月の姿を。そして燕は見逃さなかった。彼女の腕にユイの血で染まった刀があったことを。水無月が名無しの怪我を気遣い心配する動作が見えた。燕の中でかすかに怒りがうごめき始めた。
「燕!」
と、次の瞬間、燕は胸倉を掴まれ、立たされた。そこにこれ以上に無く真剣な形相のセイがいた。「それにガク!お前らとっととユイちゃん連れてコウん所へ行ってろ!!もたもたすんじゃねー!!ユイと、お前らの命に関わってんだぞ!!」
セイの罵声に、ガクと燕は気を取り戻し起き上がった。ガクはユイを抱えようとしたが右腕の傷が深く、痛んだ。
「くっ!ぬうぉおお!!」
ガクは叫んで、右腕の痛みを堪えてユイを持ち上げた。そしてほぼ同時に、一気に突き抜けるようにして駆け出した。
「さぁ、燕ちゃんも。ちゃんと護ってやんな。ユイちゃんはまだ・・・まだ逝っちまったわけじゃねぇ。」
セイに言われ、燕は軽くうなずいて振り返りガクの後を追った。振り返ったときに彼女の目から涙がこぼれ、宙を舞った。風に流れ、丁度セイの真横を吹きぬけようとしたのその雫を、彼は腕で受け止めた。
三人が姿を消し去って間も無く、セイは名無し、水無月、神無とそれまであまり事態をあまり面白くないと思って眺めていた斬に囲まれた。
「フン、貴様のおかげで獲物を逃がした。」
神無が先に口を開いた。「香月屋の一件で一緒にいた奴だな。」
「へっ、女性に覚えてもらえるなんて嬉しいねぇ〜。」
セイはいつもの態度で、しかしその場の誰よりも真剣そうな顔つきで言った。むしろ、余裕といった雰囲気を出す態度であった。「あんた、香月屋の忍だな。どうやら出は亡き風魔一族の生き残りっぽいね。うんでもって、そっちが出雲の百人斬りでゆうめーな人斬りの霜月斬さんで・・・そっちが幕府最大のお尋ね者〜水無月家神夢幻一刀流継承者四代目とその家系に仕える忍さん。」
「貴様・・・!」
水無月が睨むようにして言った。
「なんで幕府は、こんな美人でイイ女を、最重要反逆者って呼んで血相変えるかねぇ。」
セイは腑に落ちないという目つきで水無月を見据えた。
「貴様、汚らわしい目で水無月様を見るな・・・!」
名無しが水無月の前に手をかざして言った。
「オイ、テメェ・・・俺の名を?」
斬が珍しく苛立った表情でセイを睨んだ。
「良く回る口だ。」
神無が小太刀を構えて言った。「黙らせてやる!」
「へん、そりゃどーも。年上の女性も光栄さ」
セイは余裕で不敵な笑みを見せつけた。そして手を開いて燕の雫を一目して言った。「燕ちゃんを泣かして、しかもユイちゃんをあんな目に合わせたテメェらを・・・俺ぁゼッテー許せねぇ。」
セイのその言葉は本気そのものだった。「だから、俺はテメェら相手にはだけは、ゼッテーに負けねぇ。ま、誰相手でもかわんねーけどな。」
真の言葉か、それともはったりか、その一言はそこにいた全員の神経に触った。誰もが眉を動かし眉間にしわを入れ、気を引き締めた。それまでの笑みはなく、鋭い目つきで睨みをきかせるセイがそこにいる。
しばし五人の間に沈黙が走った。と、セイが最初に沈黙を破って叫んだ。
「今だ!リュウ!!」
第十話 ―続―