燕 第十一話:忍
第三節―――――
―冬月亭―
その晩。
「馬鹿モーン!!!」
冬月亭では睦月の怒鳴り声が響き渡る。
「すみませ〜ん、旦那様〜〜!」
毎度お馴染みのひ弱な中年男の声が謝る。
「望月―――!貴様何度言えばわかるのじゃーー!!雑草と草木をな・・・!!」
「カンベンしてくだせ〜い、旦那様〜〜!!」
「カンベンで勘弁したら町奉行はいらねぇんだよ―――!!」
睦月が望月を叩く音が聞こえる。別に冬月亭では珍しくない光景なのだ。「やり直しだ―――!!今晩ずっとやってろ――!!」
名無しは一人、冷たい夜、屋根の上で立っていた。その瞳は寂しく、夜闇を見詰めていた。そこへ風の音に紛れ、神無が屋根の上へと飛び乗った。
「陰気だな、」
神無は名無しの横に間合いを取って並び、月を見上げた。微動だにせず立っている名無しからは返事がなかった。「三日前のことか・・・?」
ちらと名無しを見て神無は尋ねた。「三日前・・・、何かあったのか?」
「貴方に答える必要はない。」
名無しは無表情な声で言い返した。神無は眉を細め、不機嫌そうな顔をしたが気に留めなかった。同じ忍として、他人に易々と話をするわけにはいかない。それは神無自身良くわかっていることだった。こうして会話をする時すら、充分な間合いを取って話すのも似た様なもの。
「彼女は、お前のことを想っている・・・。」
神無は言った。「そして・・・お前の応えを待っている。」
二人の間に冷たい風が吹いた。「私は生を受けたときから忍だ。だから、恋愛なんて知らない、知る必要もない。友情も、仲間などという感情も考えも持っていない。だから逆に、私は誰かに頼られても、愛されたことはなかった。だがな、だからかもしれん。私にはわかる・・・。」
「私は・・・水無月家に仕える忍だ。」
名無しは喋った。「水無月家三代目様にも恩がある。忍であり恩がある以上、私があの御方と特別な関係になるということは・・・・許されない。」
名無しの言葉に、神無は後ろめたさと寂しさを感じられた。すると口笛が聞こえてきた。
「!」
「どうやらお呼びのようだ。」
神無はつぶやいた。「しらがのボウヤ、何があった?」
辺りを見渡しながら廊下を歩く長月の背後から神無は声をかけた。長月は勢いよく振り返ると屋根の方へと顔を向けた。
「貴様!相変わらず・・・呆れる無礼さだぞ、その態度!」
「用は何だ?」
神無は長月の憤慨を無視して尋ねた。
「くっ・・・斬が勝手に外出をした。」
「何でこうなるか、」
神無は不平を口で言いつつ、光邑生町の屋根の上から上へと、月が雲に隠れた闇夜の中駆けていた。
「こっちだ、」
どこからもなく名無しが隣へと姿を現し伝えた。「斬を確認した。」
「ふ〜ん、アンタはいいのかい、彼女の傍にいてやらなくて?」
神無はそう言いながら名無しの横を駆けた。
「互いに、考える時間がほしい・・・。水無月様が・・・その時間を望んでおられる。今水無月様には皐月殿がついておられる、心配は無用だ。」
「アンタ達、一体三日前何があったんだか・・・」
神無はぼそっとつぶやいた。
そして二人は障子が真っ赤に染まり、明かりでその赤が強調されている屋敷へと乗り込んだ。障子から乗り込んだ神無はその光景に、思わず片手で吐き気を抑えた。目の前に死んだ幼い女の子の死骸があった。「うっ・・・!」
目の前にはまだ血がゆっくりと垂れている刀を両手に握った斬の姿があった。「貴様・・・!」
「まだ辺りの住民には気付かれていないようだ。それに・・・ここは、どうやら睦月の隠し倉庫の様な場所らしいな・・・。」
名無しは別の戸から姿を現しつぶやいた。「斬殿・・・何故ここを襲った?」
「あん?」
斬は快楽に酔った様な顔をして名無しを見据えて答えた。「単にわかったんだよ、俺様は本当はどんなかって。」
「・・・」
名無しは黙って聞いていた。
「疼くんだよ、殺せってな!この俺が望むのは殺しだ!闘いだ!俺は俺にウソはつかねぇ・・・俺の殺りたいようにするだけさ!」
「もう少し自重するべきだ、斬殿」
名無しは睨んで言った。
「ケッ、うるせぇな・・・」
斬は少々苛立った、また疑問を持った表情で名無しの顔を覗き込んで言った。「テメェなんざ、命令にだけ従う狗じゃねぇか、あの女にああしろこうしろって言われりゃ何でもしやがる、嫌なことでも何でもなぁ〜。」
「貴様っ・・・!」
名無しの覆面から覗く目元にはたしかにしわがよっていた。「私を愚弄するならまだしも・・・貴様風情が水無月様のことを・・・軽々しく口にするな!」
「貴様風情ねぇ〜」
斬は呆れた表情をしてため息をつく動作を見せると続けた。「だったらテメェは何風情よぉ〜?関係ねぇだろ〜が、俺達が何風情だろ〜が。」
斬は刀の血を床に飛ばし、名無しに向けて構えなおした。「言いたいことは言う、殺りてぇことは殺る、嫌なら嫌って言う・・・。やりてぇこともできねぇ奴が、俺様にどうこう言うんじゃねーよ。そんな、玉のねぇ奴がな・・・」
そう言って斬は刀を鞘に収めた。
「・・・・・・」
名無しは黙り込んだ。だが、考えていた。「(私は・・・)」
「それよりよ〜、俺がぁ・・・ここを襲った理由は別にあるんだぁ〜。」
斬がぼそっとつぶやいた。
「何ッ?」
神無と名無しが二人同時に尋ねた。
「匂いがしたんだよ、あの血の匂いが・・・。あの女と、あの野郎がここにいた・・・間違いねぇ。」
斬はつぶやいた。
「あの女・・・」
神無もつぶやいた。「アイツ・・・!」
「だがもういねぇみたいだな・・・チッ、まぁいっか」
斬は頭を掻き毟って言った。「ついさっきまではいたにちげーねーんだが。」
「辺りを探してみるか・・・?」
神無が名無しのことを見て尋ねた。
「いや、」
名無しはつぶやいた。「急いで戻ろう。」
第四節―――――
冬月亭の傍にて。
「いいかい、燕ちゃん・・・俺等の狙いは睦月だけだ。」
セイはつぶやいた。「ほとんどの敵さんは場所を移したが、あいつは責任者ってこともあってまだ屋敷に残ってる。睦月の野郎さぇ殺っちまえば、あいつらには後ろ盾が無い。それに・・・」
セイは目を細めて言った。「今宵は文月の奴がいねぇ・・・。」
それだけ相手を意識しているのだろうか。燕もまた、文月が誰だかはわかっていた。ただ、何故セイがそれほど意識するのか、一体文月と言う男が何者かは知らされていない。それに、忍は一目で相手の力量を見極めるべく訓練されているが、あの男のそれは燕には全く見極めることができなかった。
「今なら斬も・・・あいつらもいない・・・」
燕がつぶやいた。
「好機ってわけさ。さ、早いとこ殺っちまおうぜ。」
「水無月・・・は?」
燕が小声で、恐縮そうに尋ねた。
「?」
セイは目を細めて燕を凝視した。「今あそこにいるのは・・・水無月と、卯月っつぅ槍の名手と、リュウの言ってた大剣を振り回す坊っちゃんだけだ。少なくとも、俺が確認したのはな。」
「・・・・・・」
「燕ちゃん、」
セイは向き直って燕の両肩を掴んだ。燕は触れられたことに敏感に反応し、顔を上げた。「強いってのが、どんなもんだと思うって、俺前に聞いたよな?忍ってのはな・・・」
「忍だから・・・だから私は、」
名無しはつぶやいた。「あの方を避けてきたのだろうか・・・?」
それに対し、隣で辺りを見渡す神無は振り向かずに、ただ目を細めて言った。
「忍・・・。私らは、忍だ。だから・・・ただ黙って上の命令を聞けばいい、尽せばいい・・・未練も生き様も、死に様もいらない。文字通り、狗よ・・・」
神無の声の響きには哀しさが、孤独が感じ取れた。「私達は・・・人であって人じゃない・・・。」
そう言う神無の脳裏には血まみれになった少女の残像が映し出されていた。歯を食いしばり神無は続けた。
「クン・・・クン・・・!」
斬は頭を前に突き出して、匂いをかぎながら辺りを歩き回っていた。すると斬は急に敏感に反応し、屋根の上へと飛び上がった。するとどこからもなく二つの影が屋根の上へと姿を現した。
「!!」
神無と名無しもそれに反応し、構えた。
「まだいたのか・・・」
神無はつぶやいた。目の前に立ちふさがる影は装束姿のコウと傘をかぶった、百舌だった。「間違いない・・・こいつら、出来るぞ。」
「でもな、俺はやっぱこう思うぜ。何事もやってみなきゃわかんねーさ。だから・・・」
セイは言った。「行動することを恐れちゃいけない。」
セイは自分の胸を叩いて言った。「恐れないで行動してみるっていうのが強いんじゃないかな。勇気ってか、ここの強さだよ、」
そう言ってセイは燕の胸を叩いて手を置いた。
「ここの強さ・・・。」
燕は以前誰かにそう言われたことを思い出し、その意味を考えようとした。だがつかの間、生理的嫌悪感が神経を逆撫でした。
「柔らか〜い♪」
「嫌っ・・・きゃっ!」
「ちっ・・・!」
神無は一歩跳んで間合いを広く取った。
「ん!?この匂いは・・・」
斬がとある匂いに感づき、屋根から飛び降りる。するとそこには坊主が立っていた。
「よぉ斬・・・!」
坊主は言った。例の、酒場で斬について語っていた坊主である。「今日こそはぶっ殺してやるぜ・・・!」
「テメェか、不破」
斬は残念そうに引きつった表情をした。「そりゃこっちの台詞だ、クソオマワリ!!」
「くっ!」
名無しの腕が鎖で捕われてしまった。その先端を持つ百舌はもの凄い量のクナイを同時に投げてくる。避けようとするが腕の自由を奪われた名無しは避けるのにこそ成功するが体勢を崩してしまった。それが命取りだった。百舌がその間に跳躍して名無しへと接近する。「水無月様・・・!」
「名無し!」
神無は叫んだ。名無しを捕らえている鎖を斬りおとし、名無しを突き飛ばして百舌の一撃を受けた。続いてそれまで神無が刃を交差していたコウが真横から打撃を食らわせてくる。腕を捻ってうまくそれに対処し、受け止める神無。だが持ちこたえているのが精一杯の様子だ。「行け―――!!!」
「神無殿!!」
「こいつらは囮だ・・・!!」
「何っ!?」
「おかしい・・・!この強さで退かないのは・・・刺客だ!お前は行け!!アイツに・・・伝えてきな・・・」
神無はうまく百舌の刃を弾き、反対側の屋根へと跳び乗った。振り向く神無、その黒い髪の毛が闇夜を舞う。彼女の目は鋭く、意思を伝えるような目をしていた。「アタシ達は・・・飽くまで人だ・・・。」
「神無殿・・・」
そのとき名無しの中で何かが一斉に変化した。まるでそれまでの名無しとは違う、そんな具合であった。その瞳には強い意志が灯っているのがわかる。「かたじけない!」
そう言い残して、名無しの姿は闇夜へと溶け込んで行った。
「よかった・・・。」
神無は一瞬だけ笑みを浮かべた。その脳裏には血まみれの少女を抱え、何か一生懸命叫ぶ自分の姿が移りだされていた。「さぁ来な・・・!私は貴様なんかに・・・」
そう言って構える神無の脳裏に一瞬燕の姿が映し出される。「殺られない・・・殺られるわけにはいかないんだっ!!」
「結果も迷いも恐れる必要はない。」
セイは先輩らしい、優しくも真面目な顔で話を続けた、右頬には手形が残っているのだが。「だって、行動した結果、何か答えが、その道しるべが、見つかるかもしれないじゃんか。そうすればもっと強くなれる!だから、自分の思ったことをすぐ行動できる奴は強ぇ。燕も、思ったようにやってみな。」
「セイさん・・・」
燕はセイを見直した、という表情で見た。頬の手形は気にかけず。
「ひょいっと、」
セイは塀の上へと跳び乗った。燕もそれに続く。「行きな、」
そう鋭い目のセイに言われ、燕は力強くうなずくと、跳んだ。
一人残ったセイは一人つぶやいた。「さぁ〜て、イスカの旦那が俺っちと組ませたのもたぶん、こうしてほしかったんじゃないかな〜。本当は、強い奴ってのは思ったように行動できてかつ、容量わきまえてる、つまりは、迷惑になるよーなことはしねぇんだが・・・ま、今日一夜くらい、無茶させちまうか。」
セイはそう言って塀の下で見上げる影を一瞥した。「万が一のためにお前がいるしな。」
屋根の上から渡り廊下の様子を覗く。燕は水無月の姿を発見した。「ユイ・・・」
燕は問いかけるようにつぶやいた。そして目を細くし、決意の念を現し、一歩踏み出そうとした。そのときだった。背後で屋根の上に着地するかすかな音を聞きつけた。振り返ると、そこには息を切らした名無しがいた。
「水無月・・・様・・・いや、」
名無しはつぶやいた。屋根の向かい側には燕が立ちふさがっていた。互いに互いを避けることも譲ることもできない、そう思っていた。闇夜として雲が動き、月が二人を照らし出す。二人は、丁度月を隔て、屋根の反対側に位置していた。
決意を決めて燕が名無しへ向かって駆け出した。間髪居入れず、名無しも前へと駆け出した。
第十一話 ―続―