燕 第十一話:忍
第五節―――――
両者とも間合いに入る前に忍び刀を抜き、刹那刃は交差した。交差するや否や、瞬時に互いの刃を弾き合い追の太刀を放ち、刃が重なれば互いに巧みに刃を逸らして弾き合う。名無し相手に力では劣る、故に燕は刃が交差し切る前に手首を捻り腕全体の力を使って名無しの刃を弾きつつ追なる攻撃へと軌道を即座に変える。だがそれを見誤る名無しではなかった。一対多や隠密行動、早期決着が望ましい忍にとってそのような技など当たり前であった。刹那でそれを判断したならばこちらも技で返すのみ。しかし、相手に劣る力も持って。
三合目で名無しの横から水平に放った太刀は斜め下から繰り出された燕の刃を押し弾いた。すかさず返し刃が燕を追うが、それでも体制を崩さない。弾かれた勢いを逆に利用し、低い姿勢で身を翻し瓦の屋根が斜めであることを利用して転がり避ける。が相手の追撃の間は与えられない、即座に身を立てると同時に背の後ろで忍び刀を左手に持ち替える。黒髪が乱れ髪の如く激しく揺れる中、その漆黒に隠れるようにした刃を名無しの接近と共に正面に放つ。
「!」
左腕を前に、篭手による弾き技の構えを取っていた名無しは、反対側からの太刀に対し、腕を引き、跳ぶ。幸い上下の段差によって、爆宙による回避が成功した。無論、着と共に刃を背中越しに放つ。燕も同じく。互いの刃の切っ先がぶつかり合い火花を放った。その反動に二人とも咄嗟の判断で反対方向へと飛び退く。互いに独自の呼吸法で息を整えながら、ほんのわずかの間、硬直状態が続いた。だが月明かりが群雲に遮られるのを合図に、二人は再度飛び出した。
忍に長期戦など不釣合い、互いに意気投合したのだろうか、刃は互いを弾くことはなく鍔迫り合いになる。名無しが押し気味だが、燕は背後から短刀をさっと抜き、投げつけた。だがその動作を見逃さなかった名無しは刀を引いてその柄で弾き落とす。そして左腕を突き出し、篭手で燕の刃を受け止めた。
忍び刀を前へと名無しが突き出すと、燕はくるりと右方向へ、名無しの左腕方向へと回って、足を捻るようにして止まると、もの凄い勢いで名無しの脇腹へと斬り込んだ。「くうっ!!」
だが名無しの目の灯火は薄くなることはない。名無しは反対側へと向き直るが、そこに燕の姿はなかった。「くっ・・・!」
気配と勘を頼りに、燕が既に背後、死角に周り込んでいることを察知した。彼女は名無しの周りを交差し、幾度と太刀を放ち、時に放たず回り込む。
何という異常な速さか。彼女の動きには一つ一つの動作へ移る際に一切の無駄の動きがない。加え、あの身軽さと小柄からか、これ程近いというのに、目で捉えることが敵わない。何合か、名無しは耐えるが、弾かれ体制を崩した刀は背後からの一撃で弾き落とされてしまう。名無しの忍び刀は屋根から転がり落ちていった。「私は・・・負けん!!」
名無しは叫んで背後へと強烈な蹴りを出した。
「うっ!!」
燕は唐突の蹴りに身を退いたが遅く、それは肩に強烈な打撃を与えた。堪え片目を開く燕だが名無しは滑るようにして恐るべき速さで燕の胸へと右の掌を打ち込む。そして立て続けに左で跳び蹴りを燕に打ち込む。「ああぁっ!」
宙に浮く燕。その身体へと強烈な回し蹴りが決まり、燕の身体はきりもみし、屋根から離れた宙へと舞い、逆さまに降下を始めた。忍び刀は手放してしまい、離れた所で地面に刺さる。そこへ名無しは反転するようにして跳び、燕の身体を背後から捕らえた。
「飯綱落とし!!!」
回転を加え、勢い良く、真下の地面目掛けて落下する。拘束した相手の頭蓋骨を地面へとぶつける、文字通り『一撃必殺』の忍の秘儀である。
「(私は・・・)」
落下中の、わずかな間に燕の脳裏にさまざまな映像が写りだされた。父親、幼い自分、母親、百舌、血、朱雀・・・そして「(ユイ!!)」
燕は渾身の力を振り絞った。「うっ、あああぁぁ―――!!!」
燕の身体は縮こまると、抑えつける名無しの腕から抜け出した。そして肘うちを名無しの肩に当て、身を捻ると名無しの身体へと蹴りを見舞う。だが名無しも同時に身を捻り、両者の足はぶつかり合い、相殺する勢いで両者ともを吹き飛ばした。燕も名無しも転がるようにして受身を取り、ゆっくりと起き上がる。
「私は・・・くっ!」
名無しは肩の痛みを手で抑えた。そしてつぶやいた。「私は・・・」
その目の灯火、決意と意思は強かった。「詩織殿を・・・護る!」
「私は・・・」
燕はつぶやいた。その目には決意と意思の強さが見受けられた。燕の中には迷いこそあった。だからこそその後何も言わなかった。だが、迷いに対する答えを知りたい、『復讐』でいいのか、という答えを確かめたい、その意思は確かに頑固として揺るぐ様子ではなかった。
丁度二人の立っている位置には互いの忍び刀が落ちている。
「名無し・・・!!どこだ・・・!名無し!!」
皐月に名無しが戻ってきたことを知らされ、水無月は駆けた。酷く心配した表情で、落ち着きが全くなく障子を両手で開きながら駆け回っている。普段の清楚な水無月とは思えない慌しさだった。水無月本人も、焦燥感に狩られ、そんなことに気をくれることもなかった。「名無し――――!!」
両手で障子を思いっきり開く。「名無・・・」
水無月は目の前の光景を疑った。「し・・・」
とたんに水無月の全身から力が抜け、弱々しく跪いた。「名無し・・・」
その目には大粒の涙が浮き出ていた。「うっ・・・うぅ・・・」
血を浴び、背が真っ赤に染まっている燕の虚ろな目は泣き叫ぶ水無月の姿を見て我に還った。
「私達も、奪っているのよね・・・もしかしたら、誰かの拠り所を、大切な・・・人を。もしかしたら、その人にとって・・・唯一の人を・・・。」
ユイの言葉が蘇る。
「(これが・・・)」
燕は疑った。「(復讐・・・?私が求めていたのって・・・)」
悲しみに、倒れこむようにして泣く水無月の姿を観て燕の心は悲しくなった、虚しくなった。胸が引き締められるあの感覚。そう、望んでいたものとは全く正反対の気持ちが押し寄せてきた。強い、罪悪感と共に、燕の純粋な心に。「(違う!私は・・・・・・!)」
燕 第十一話
―完―
燕 第十二話:詩織
―予告―
少年には過去が無く、名も無かった。
失った自分を取り戻すため、少年はかつての力を手にし、
その力は、今の大切な者のために
だが、いつからだろう・・・勝手が、変わったのは。
「名無し・・・。お前の想い、・・・聞かせてはもらえぬか?」