燕 第十二話:詩織


第三節―――――

―冬月亭―

「リリナナ・・・?」

皐月はヒューのことをよく見つめてから首を左右に振った。

「違う・・・リリナナ、違う・・・」

「お前は・・・一体・・・イングリッシュか?」

ヒューは尋ねた。皐月は人差し指を顎に当てた。

「いんぐり・・・?どんぐり・・・?リス?」

皐月の答えに、ヒューは歯を食いしばった。

「Bloody Shit!」

一言言ってヒューは廊下を去っていった。そんなヒューを目で追いつつ、皐月は向かい側の渡り廊下を水無月と名無しが歩いていくのが見えた。

「リリ、」

皐月はつぶやいてその後をこそこそと、隠れるようにしてついていった。一方背後では未だに睦月の怒鳴り声が響き渡っていた。

「水無月様、どちらへ?」

名無しは水無月のすぐ後ろを歩きながら尋ねた。

「名無し、」

水無月は歩きながら答えた。

「久しく、私は人と話すことの楽しさを思い出したようだ。」

そう言う水無月の表情はどこか楽しんでいる様子だ。顔は見えずとも、名無しは声でそれくらい理解できた。

「ついでだ、何人か他の者とも話をしてみたい。」

そう言って廊下を曲がった先には卯月が一人、庭の石に座り込んで空を見上げていた。

「数日前の一件、礼を言わせていただきたい、感謝する。」

卯月はそう言って数日前、斬が彼に斬りかかった時水無月に助けられたことを感謝した。

「ああ。だがお主も、あの時斬を止めようとした。勇敢な行為であったぞ。」

「いえ、私はただ・・・」

卯月は顔を水平に、どこか一点を見つめるような目で答えた。

「私らしく行動したまでです・・・私の昔の友が、彼のように無鉄砲でしてね、良くそんな友をああして、私は止めようとしていた・・・ただ、私らしく振舞っただけです。」

「そうか・・・」

「ただ、」

卯月は顔を水無月と名無しへ向け言った。

「自分らしく振舞うということは、決して簡単なことではないのです。妻が他界して早六年・・・、妻が最後に私に願ったことは友が最後に願ったことと同じでした。・・・・・・私らしく生きろと」

卯月は顔を戻し、またどこか、一点でも見つめるように庭を眺めた。

「その言葉の意味を考え、この六年、用心棒家業を糧に、何とか暮らしてきました。師走殿の護衛として雇われて以来、あの方のお傍にいます。ただ、何をしていようと、何が起ころうと、私らしく、自分らしく生きるということは堂々していること・・・」

「堂々と・・・、」

水無月はつぶやきながら思考にふけった。

「(私は・・・私らしく生きているということか・・・)」

「ただ、」

卯月の条件の接続詞に水無月は思考からはっと反応した。

「堂々といえど、己を飾ってしまっては意味がない・・・それは、自分を偽っているのではないのか、そう思うのです。そんなときは、自分自身が見えませんから・・・自分らしく勤めるのが難しいのです。」

卯月の言葉に、水無月は顔を逸らして思考にふけった。

「(私は・・・飾らない・・・私は・・・)」


―追憶―

「は、放せ!!」

詩織は叫んだ。名無しが居候するようになってから3年ほど経ったであろうか、ふと父親が買い忘れた品を買いに出たところ、町で柄の悪い男達に手を掴まれたのであった。

「まぁそう騒ぐな。あっしらはお前さんが財布さえ渡しゃー何も危害は与えねぇってんだ。な、意地張らないで諦めな。」

三人のうち一人が勝ち誇った顔でそう言った。

「くっ!・・・」

詩織は悔しいという表情をして叫んだ。

「誰が・・・貴様等などに屈してたまるものか!その手を放せ!」

「大層生意気なガキだ。」

別の小さな男がつぶやく。そう言って詩織を壁へ蹴り飛ばした。

「奪いとりゃいいんだよ、奪えば。」

「止めろ!私に・・・触れるな!」

男の一人が詩織に手を伸ばした次の瞬間だった。気付くとその男は宙を舞っていた。詩織と男達を挟んで宙を舞う男が地面に近づくにつれて、男達は、詩織の傍に立っている何者かの存在に気付いた。舞う男が地面に到達する直前にその者は男のこめかみに強烈な蹴りを見舞う。男はさらに宙できりもみし、仲間の下へと地面を滑っていった。皆、何が起きたのが把握しようとしているなか、詩織が真っ先に気付いて目の前の者の名を呼んだ。

「名無し!」

気付いてみれば詩織の前に名無しがいた。

「詩織殿、ご無事ですか!?」

名無しは顔だけ振り向き、心配そうな表情で尋ねた。

「う・・・うん。」

詩織は唐突な名無しの登場に驚いて返答に困っているようだった。

「おい」

名無しは向き直ると鋭い眼光で男達を見据えて言った。

「早く散れ。今ならば見逃してやる・・・!」

「兄貴!畜生、ガキが・・・、不意打ちとは卑怯な真似を!」

男の一人がそう言うと二人して名無しへと殴り掛かってきた。

「名無し!」

逃げて、と叫ぼうとした詩織だったが、名無しが振り向かずに手を差し出して言った。

「詩織殿、そこから動かないで下さい・・・」

殴りかかってきた男の腕を己の腕で受け流して掴み、間接へと肘を打ち込む。そのまま捻った身を利用した強烈な回し蹴りが男のこめかみを襲う。こめかみに蹴りが入ったかと思うと、そのまま足を戻してあごを蹴る。そして横から回りこもうとした男に対し、名無しは着地させた足を捻って後ろ回し蹴りを見事に男の脇腹へと打ち込み、一気に間合いを詰めて手徒を男の脇へ打つ。
終いにその腕を掴んで背負い投げをする。詩織の後方左側へと男は大きくふっ飛ぶ。最後にふらふらして口から血を吐いている男を蹴って吹っ飛ばす。男は地面を滑るようにして詩織の後方右側で倒れた。

「お怪我はありませんか?・・・さぁ、こちらへ。」

名無しは手を差し出した。詩織はその手を取って、起き上がった。

「さぁ、こちらへ」

名無しはそう言って詩織を倒れている男達とは反対の方へと行かせた。

「名無し・・・あ、あ、あり・・・っ!!」

詩織は感謝しようと真っ赤な顔を上げたその時だった。

「後ろ!!」

詩織の叫び声に反応し、名無しは素早く振り返る。男の一人が寸鉄を指に、殴りかかっていた。もう遅い。名無しは素早く詩織の前へと跳ぶ。

「名無し!!」

「ガキがあぁ・・・!」

男が叫ぶ目の前で、名無しは額を抱え、膝をついた。寸鉄で額を切られたのだ。男はかまわず拳を振り上げる。

「いてっ!」

ふいに男の顔に何か金属が跳ね返る。

「一体何だ!?」

男が当たり見渡すと、ちょうどすぐ隣にそがが並んで立っていた。

「じじぃ!!貴様今何を・・・!」

男が問おうとして拳を構えると、男は気付いた。寸鉄がない。

「まさ・・・か・・・」

冷や汗をかきはじめた男はそがの腕にある白鞘を確かに確認した。

「まさか、何でしょうかな?」

そがは普段と何ら変わりのない様子でつぶやいた。

「まさか私が・・・詩織様と我が弟子に手を出した者を斬らない、とでも思いましたかな?」

男がうっと下がり始めると、そがは鋭い目つきで男を圧倒し、鋭く言った。

「散れ!」

「名無し!今までどこにいたー?」

詩織は額に包帯を巻き終えた名無しに尋ねた。

「しばらくもの間、お会いできなくてすみません、詩織殿。」

名無しは答えた。

「い・・いや、あ、謝るほどでは・・・」

詩織は名無しが困ったもので、自分も困りはて、今度はそがに向かって尋ねた。

「そ、そがも!また半年も、どこへ・・・!」

「はぁ、すみませぬ、詩織様」

そがも名無しのように困った困ったと言わんばかりに謝った。

「いや・・・だから、謝られても・・・一体どこに行っていたの?」

「はぁ、お尋ねされては答えるのが我が勤め。」

そがは背筋を伸ばすと語り始めた。

「この坊ちゃまに、修行をつけていたのです。」

「修行―!?一体何の・・・?」

「忍のです。」

名無しは自ら答えた。隣でそがは言われた、と言わんばかりに口を半開きにしていた。

「私は、礎霞様によると」

そがでいいですよ〜、とそがが隣でつぶやくが名無しは続ける。

「生まれは忍の里であるようなのです。私は、私が一体何者なのか、それを知りたいがために、礎霞様に頼み、修行を受けていたのです。全ては私のわがままでした・・・ただ・・・」

「ただ?」

詩織は尋ねた。

「ただ、私が何者であったとしても、今は私を気遣ってくださるこの家の方々に感謝したい。鍛えた腕を、これからは詩織殿と、この家族を護るために勤めたいと思います。」

以前名無しの顔にあった影はなくなっていた。

「詩織殿に久々に会えて、私も誠に嬉しいです。」

礎霞が語りたかったのか、茫然としている中名無しは言った。

「これからはずっと一緒です、詩織殿。務めもありますが、ただ、それ以外のときは、以前のように一緒に蹴鞠の相手をしましょう。」

「・・・」

詩織は返答に困り、とりあえず笑顔で答えた。

「うん♪」

ふと気付くとそがが片隅から部屋を出ようとしていた。

「ど、どうしたのだ、そが?」

「いえ〜、せっかく若いお二人、しかも男女が盛り上がっているを・・・この老人めが邪魔してはいけますまいと思いまして。」

「そ、そが!」

詩織が叫ぶ。が、障子が開いて蓁が入ってくるなり、詩織は何事もなかったように慌てて姿勢を正す。

「お父様・・・」

「詩織、私の部屋に来なさい。」


蓁の部屋にて。

「詩織、無事で何よりだ。」

蓁は詩織に面して正座し、告げた。

「お前ももう十五だ。男であれば元服する歳。女であるお前といえど、我が家ではそれは同じだ。」

そう言って蓁は座布団の横に置いてある水色の白鞘を手に取った。

「受け取れ。これよりお前に刀を授ける。」

「お父様・・・」

「これからはこれを可能な限り、決して手放すな。刀は我ら水無月家の誇りの証。今まで以上に己を大事にしろ。わかったら、刀を受け取れ。」

「はい・・・お父様」

そう言って詩織は、白鞘を始めて手にした。

「わかっているな、稽古以外で無闇に抜いたりするな。」

蓁は白鞘を見つめる詩織に優しく言った。

―冬月亭―
卯月との会話後、長月が廊下の先から現れ、水無月と名無しは彼と共に一つの部屋へと入って今向かい合って座っている。

「師走様に相手をするようにと、頼まれた。」

長月は素っ気無い態度で告げた。

「か、勘違いするな。」

「ふふ、」

水無月は小さな笑い声を出した。

「な、何が可笑しい!?」

長月は逸らしていた顔を戻して叫んだ。

「お主、緊張しておられるようだが、長月殿。」

水無月が面白そうな顔でそう言ったので、長月は図星を突かれたのか、身体を退いた。

「もしや女性と面と向かって話すのはこれが初めてか?」

長月は返答に困り、顔を一気に横へ逸らして答えた。

「フン、当たり前だ。元々私は百姓の出、その上、我が家が住んでいたのは田舎からも遠い山の付近だ。女どころか、人付き合いも滅多になかった。」

ムキになっているのか、何故か自信気に話す長月。

「では何故師走殿について行くことにしたのだ?」

水無月がそう尋ねると長月は逸らしていた顔を戻し、答えた。

「私はこれでも武士だ!我が家族はその誇りを忘れた・・・。かつて、関が原で我が祖先が負けるまで、我が家系代々仕える武士だった。その誇りを忘れ、山に篭って百姓だの、私は納得がいかぬ。だが、ある日師走様に出会った。最初は山を越える手引きをしているだけだったかが、あの方のお話を聞いて私は決心した。あの方について行こうと。私はあの方を心から尊敬している。あの方に、私は尽したい。」

「尽すか・・・」

水無月は目を細くし、尋ねた。

「師弟関係だからか?」

「理由はただ私があの御方に仕えるからではない。そんな役割の様な理由ではない。私はあの御方を心から尊敬している。だからだ。私は師走様の前に立ち塞がる者は人であれ鬼であれ、私が全て斬る。そこの忍とて同じではないのか?」

長月に言われ、部屋の端で様子を覗っていた名無しは顔を向けた。水無月もゆっくりと、振り向いて名無しの顔を確認した。丁度二人の目は合い、互いに顔を逸らすとそれぞれ想いにふけった。

―追憶―

「父上が倒れた!?」

詩織は叫んだ。詩織が十五のとき白鞘を授かってから二年が経た。詩織の父親である蓁が病に倒れたとの報告がそがからあり、蓁はその報告から一刻も経たないうちに息が途絶えた。程なくして、詩織は水無月家頭首四代目となった。それ以来、皆は詩織のことを水無月、と呼ぶようになっていった。

「富士家からの見合いの件はいかがなさいますか、水無月様?」

せかせかと廊下を歩く詩織のすぐ後ろを歩きながらそが尋ねた。

「断って置け。私はあの様な者と会うつもりはない。それ以前にそんな暇もくれてやるつもりはない。名無し!」

詩織は呼んだ。すると、どこからもなく名無しは現れ、廊下のすぐ横の庭でひざまずいた。そんな姿に詩織は違和感を覚えた。

「名無し・・・?」

「はい、何でしょうか・・・・・・水無月様。」

名無しの言葉に詩織は気を悪くした表情で答えた。

「例の件、どうなっておる?」


―冬月亭―

「水無月様、」

長月が去った部屋で名無しは小さな声で水無月へとつぶやいた。水無月は顔を向けると、静かに頷いた。すると名無しは傍にあった戸を勢い良く開いた。するとそこから何者かが倒れ畳に突っ伏した。名無しは素早くその者へと近づくと、頭に被っているフードを取った。

「お主は・・・」

水無月はその者に見覚えがあった。以前風呂場で出会った、皐月だったからだ。

「一体そんなところで何をしている?」

水無月の問いかけに対し、皐月はフードが取られたことに気を取られ、とても答えられるほど冷静そうではなかった。

「お主!」

水無月は近づくと言った。

「何故そう自分に誇りを持てん!?顔を隠す必要があるのか、そう隠れる必要があるのか?もっと誇りを持て、自分に。誇りを持って、はっきり言ってみろ。」

「楽しそう・・・だから、観てた。」

皐月は躊躇しつつも、答えた。

「言うと、スッキリ・・・」

皐月は嬉しそうにつぶやくと言った。

「皐月。私、皐月。水無月、名無し、リリ。」

「リリ?」

水無月が首を傾げる。

「リリは・・・ナカマ、リリはトモダチ。いい?」

「あ、ああ。」

水無月の返事に喜び、皐月は水無月に飛びついた。嬉しそうだった。

「(こんな、誇りがあるのかもわからぬ者を受け入れるとは・・・私は一体何をやっているのだ・・・?言ってスッキリした、か・・・。私は・・・)」




第四節―――――

―追憶―
四代目になって一年余り経ったある晩のことだった。詩織は閉めたはずの戸から吹きつけた風と鈴の音に目を覚まし、気付くと目の前に黒ずくめの男がいるのを一瞬で確認すると布団を勢い良く投げ上げた。が、同時に黒ずくめの男はその手にある獲物を振り下ろし、布団を縦一文字に斬った。布団が左右へ割れて落ちると同時に、既に一閃し終えた構えの詩織の視界に胴を斬り裂かれ倒れる黒ずくめの男の姿が映る。地面に落ちた布団は縦横両方向へ四つに分解されていた。

「血・・・うっ!」

詩織は頬と胸に飛んだ返り血を見て気を悪くした。吐き気を抑え、ゆっくりと開いた戸へと歩を進めた。すると部屋の戸の傍に、名無しが設置したものだろうか、紐で鈴が吊るされてあった。戸が開けば音がなる、いわば警報用の装置だ。壁伝いに隣の部屋へと急ぐ。が、次の瞬間、詩織の目の前で部屋の障子が吹き飛んだ。
障子を突き破って飛び出てきたのは同じ黒ずくめの男とそれに密着するような形で刺されていたミドリだった。一面雪原となった庭に二人は着地し、腕に折れた白鞘を持つミドリに男の刀が深く喰い込む。ミドリは声を上げることなく、ただ、最後の一瞬その目は詩織を確認し、泣き顔で見つめながら死んでいった。
何事もなかったように男の方が立ち上がると同時に、ミドリの部屋からまた二人、同じ黒ずくめの男が庭へと飛び出した。詩織は思わず跳んで下がり、構える。

「ミドリ・・・」

詩織は震えていた。あまりにも急で激しく、衝撃的な出来事に。よく見ると三人の男達は忍の装束を着て、名無しが持っている物と同じ刀を持っていた。

「忍!?」

詩織の言葉が合図だったか否か、男達は一斉に詩織へと斬りかかった。

「!!?」

詩織は白鞘を鞘に戻し、一瞬にして一閃した。だが一人目の男はそれを間一髪で跳び、避けると空中で反転する形で突いてきた。詩織もそれを間一髪でかわすが、同時に二人目の男は横から襲い掛かる。左側に回りこまれたため、詩織は勢い良く白鞘の柄で鞘を突いてその反動で鞘を横一文字に一閃する。
二人目の男はそれをしゃがんでかわそうとしたが額に食らい、倒れる。すると三人目が背後へ一気に間合いを縮めた。詩織は振り向こうと身を回すが、三人目の男はうまく背後を取った状態を保つように回り込む。

「くっ・・・!!!」

生まれて今までにない焦燥感と緊張が詩織の平常心を蝕む中、詩織にミドリの亡骸が映る。その虚ろな、助けを求める悲しい目はまだそのままだった。

「うっ・・・!!はああぁぁぁぁ――――――――!!!」

詩織は左側へと振り返りつつ鞘へ刃を戻すと同時に、一瞬の反動を完璧に利用し、右へともの凄い勢いで回って一閃した。詩織の服に長い、多量の返り血が一直線上に付着する。
詩織が一閃した姿勢を保つ中、飛んだ男の刃が地面に刺さると同時に詩織の背後で男の上半身は宙へと飛んた。雪原が真っ赤に染まる。

「円月閃・・・(斬った・・・)」

詩織は小さくつぶやくと、己の中で、斬ったことへの覚悟を決めた。水無月詩織はこのとき、初めて人を斬ることに覚悟を決めた。
詩織は振り向くと、先ほど飛び越えていった男の投げたクナイを弾き落とし、身を捻ってその勢いで額を抑え立ち上がろうとしていた男を地面の雪ごと地から天へと掬い上げる勢いで一閃した。血が勢い良く詩織の身長以上に吹き上がる。詩織は一気に接近し、一番目の男へと斬りかかる。

「はあぁぁあ―――――!」

すると、ふと背後から気配を察知し、振り返る。が、新たに背後から現れた二人の男は詩織の左右をを飛び越えるとその身体に鎖を巻きつけて動きを奪った。

「くっ!!」

詩織の重点とし、三角形を模るように陣をとった三人のうち、最初の男が忍び刀を構え、突く。
が、次の瞬間、どこからもなく、そがが現れ、三角形の陣形に割り込むと同時に重点の周りを回りながら鎖を二つとも断ち切り、来た軌道を戻るように回りながら三人の男達を斬り捨てた。それは月下流麗。流れるような、達人の動きだった。

「そが!!」

「ふんっ!」

そがは返事をせず、振り返った。目の前から跳んできたクナイ、その数五つ。うち二つを斬りおとし、残り三つを腕に装備した篭手で弾き落とす。すると今度は背後から詩織へとクナイが、今度は八つ。鎖で身動きが取れぬ詩織の身体を引き寄せ、位置を入れ替わるようにそがは動く。

「くぅっ・・・!!!」

詩織の目の前でそがが初めて苦渋の表情を見せた。

「覇亜!!」

そがは叫ぶと、詩織を縛っていた鎖を一刀両断する。

「まだ・・・おったか!水無月様、ご無事で?」

「あ、ああ。しかし!」

詩織は涙する顔でそがを見上げた。

「そが、お前は・・・!」

「我が名は礎霞、身を削がし、水無月家に蓁様のお父上の代から仕える忍であります・・・!我が身は・・・削がすためにあり。心配後無用でございます!!」

そう叫んでどれくらいが経っただろうか、気付くと庭の雪は全て血に染まり、白く澄んだ色から深い赤へと変わっており、その上にはミドリの亡骸と詩織が斬った二人、そして礎霞が単身斬った六人の死体が倒れていた。残すところ後四人。

「待てい!」

大きな声が響き渡る。詩織が振り向くと一人、色違いの忍が立っていた。だが装備は敵と同じだ。他の敵が一瞬でその場の動作を取りやめたことからしてこの者が親玉だろう。

「後は私に任せて撤収しろ!」

他の敵達は一同に顔を合わせた。

「この者どもくらい、平気だ。お前達は早く戻ってこのことを伝えよ!」

言われ、黒ずくめの男達は一斉に庭の塀を越えて去った。
残された三人の間に沈黙と緊張感が走る。すると、親玉らしき男がその装束と顔を隠した布を投げ捨てる。中から装束姿の名無しが現れた。

「水無月様、ご無事ですか!!?」

名無しは叫んで詩織へと駆け寄った。

「名無し・・・」

放心しながら詩織は答えた。

「礎霞様!」

詩織の無事を確認し、名無しは傍で立ち尽くしているそがへと声を掛けた。詩織もそれにつられて振り返る。

「そが・・・私のことを護って・・・」

詩織はそうつぶやきながら涙した。

「詩織殿、」

そがは詩織へと微笑んだ。

「私のために泣いてくださるとは何たる光栄・・・しかし、我が死を誇ってもらえればそれこそ最高なる光栄。しかし・・・」

そが言った。

「私は笑顔の詩織様が一番好きじゃった。」

そう言われ、詩織は大粒の涙を流しながら、震える声で答えた。

「誇っている・・・今も昔も。ありがとぅ、そが。」

無理矢理口元だけ、笑顔を取り繕おうとする詩織。

「坊ちゃま・・・蓁様の奥様、汐様の引き出しの裏の日記を、詩織様に。詩織様のことを、後は貴方に、坊ちゃまに託しましたよ・・・」

そがは苦しそうにもかかわらず、笑顔でそう告げた。

「礎霞様・・・」

祖霞は白鞘を鞘にしまい、赤い雪原にそれを立てた。それで身体を支えるように。

「我が名は礎霞、身を削がし、水無月家に蓁様のお父上の代から仕える忍であります・・・。我が身は・・・削がすためにあり、その一生に悔いはありませぬ。しかし・・・名は、そがでいいのですよ。」

そう一言残すと、そがの頭がこくっと下がった。

「そが・・・様。」

名無しは堂々と立ち往生したそがの前で膝をついた。

「我が任、承りました・・・。」

「初めて、そがと呼んでくださいましたね、坊ちゃま。」

低い声でそががつぶやいた。はっと名無しが顔を上げた時には、既にそがに息は無かった。

結局、生き延びたのは詩織と名無しだけだった。名無しがそがから聞いた話では、相手は徳川幕府に仕える伊賀の忍らしい。その晩水無月家にいた紫譚も毒の塗られたクナイに倒れ、ミドリは知っての通り。伊織ともう一人の門下生は不在だった。そがに言われた日記はもう九年も前に他界した詩織の母親のものであり、その日水無月家が襲撃された経緯が記されていた。
水無月の母親は元大坂出身。蓁と出逢う前にとある男性に出会い、その間に子供が生まれた。だがそれをきっかけで追われる身となったが蓁と出逢いかくまってもらう。のち、蓁と婚約、詩織が生まれた。詩織の母親を追わせていた者は死に、安息が約束されたと思われたが、万が一のためにこうして日記に記されてあったという。その者が死んでもその息子、すなわち詩織の兄に当たる人物がまた追ってくるかも知れぬということを。

「お母様が・・・家康将軍の御子を・・・」

詩織は驚愕の事実にしばらく身動きが取れずにいた。

「徳川家光・・・奴が忍を、」

詩織は震える声で言った。その腕に握られた日記に詩織の爪跡が残る。

「そがを・・・ミドリを・・・紫譚を・・・、お父様を・・・!」

詩織には秘密にされていたが、名無しは蓁が毒矢で殺されたことを知っていた。それを知った詩織はまず一発、名無しの頬を引っ叩き、何故教えなかったと怒鳴った。

「申し訳ありません・・・水無月、様。蓁様から強く口止めをされておりまして・・・」

「申し開きは良い。」

詩織は日記を置いて立ち上がった。手元にあった髪止めをとり、後ろの長髪を纏める。髪を縛り終えると、詩織は振り返って言った。

「徳川を、家光を討つぞ。」


第十二話 ―続―


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