燕 第十四話:飾り 第三節――――― ―追憶― 神無は回想する。 かつて彼女が生まれ、『育てられた』忍の里。忍として生まれ、忍としてのみ生きる、皆全て同じ存在。互いに干渉することなど滅多になく、用がなければ語ることもない、それこそが日常だった。 今思い返せば不思議なことだ。自分は彼女達と同じ存在だった。あれ程『無』に近い場所はないだろう、神無はそう思う。『無』の存在。 その中で唯一神無の中で強い印象が残っている忍の存在があった。彼女は同じ年の忍で、気付いた頃には神無にとって唯一の顔見知りであり、たった一人神無の好奇心を働かせた『闇』だった。思い返せば彼女は『闇』だったのだろうか。何故なら、そう、彼女はいつも同じ顔で神無へと寄って来る。常に彼女の顔にはあの笑みがあったのだ。友情などと呼べる親しい笑みでは全くなく、だからと言って哀れむような嫌な笑みではなかった。 「これでまた使えるようになったみたいね」 それは神無が十七になる前、無事囮という役目を果たし帰還してから八ヶ月後。捕虜として受けた体中の傷が癒え骨や身体の機能が回復し、女として受けた新しい命を産み落として間もない頃だった。特に理由はなく、神無はただ黙って修行場を眺めていた。そこには誰もおらず神無一人であった。そこに彼女は現れ、神無の傍まで歩み寄ると最初に出た一言がそれだった。 神無は思わず顔だけ彼女へと向けた。顔は無表情。決して彼女の言ったことが気に障ったわけではない、が何か引っ掛かる。そう、目的のためにはどんな犠牲をいとわない、それが忍。故に神無は別に利用されることも気に障らない。だが、そう、彼女が言ったからこそ引っ掛かったのだろう。利用するのは神無の主であり、同じ忍である彼女ではない。もとい、彼女と組んだことなどない。 「あら、つれない顔しちゃって。まるで赤子を産んだばかりの母親の顔には見えないわね。」 眩しい。皮肉以外大した感情が篭ったわけでもない声とは裏腹に笑みだけは変わらない。 「まあ、男前な貴方のこと、相変わらずってとこね。」 「貴様は・・・」 神無は彼女と、喜無と話す度に思う。「余裕面だけあって、相変わらずだな。」自分の皮肉が上達していくと。 「御世辞、貴方には似合わないと思うんだけど」 問いかけるように喜無は言った。つまり神無の皮肉は下手だと言いたいらしい。 「そうね、髪もう少し伸ばしたら?うっとうしいんなら束ねちゃえばいいじゃない?」 ついでに御世辞は顔に似合わないと言いたいそうだ、男勝りだと。そう言いながら神無の髪に手を伸ばす喜無。 「何をしに来た?」 神無は顔を修行場の方へと戻し、とりあえず尋ねた。皮肉を言い合ってもまだ喜無に敵わないし、彼女の調子に合わせていては自分の調子が狂う。 「別に」 喜無は延ばしかけていた腕を腰に当て答えた。 「神無を見かけたから声を掛けただけよ。どうやら身体の方も万全のようだし。」 なんだろう、ちらと彼女の顔を横目で見たときその目は神無に温かいという錯覚を覚えさせた。安心した、という眼差し。 「それと、こんな所にいるから」 彼女は面白そう、という顔をしてみせた。口元の笑みは相変わらずだが、彼女の態度は目の動きから覗える。彼女は意味深に言った。 「急に“忍”であることが恋しくでもなったの?」 何故だろう。彼女は神無が考えていることを言い当てることができる。今まで身体の回復に長期間掛かったのに加え出産、役目は愚か身体を動かすことが許されず修行場など来るのは久しぶりだった。別に“忍”であること、すなわち役目を果たせぬことや修行をできないことを惜しんで来たわけではない。例えそれが自分の唯一生まれた存在意義であり生きる目的であったとしても神無にはそういった感情は一切なかった、というより今思えば単に考えたことがなかっただけだったのかもしれない。その場に赴いたのは、しばらく修行から身を置く、修行から距離を置いている間に疑問が浮かんだからだった。 何のために毎日修行を繰り返すのか。当時の神無の性格上さほど気には掛けなかったものの、思い返せばそれが始まりだったのかもしれない。不思議だ。彼女のあの、光がある目によって見透かされているのだろうか、彼女はさらに言い当ててみせた。「それとも、何か悩み事でも、神無さん。」神無は答えなかった。聞いたところで、答えに大体検討はついている。“忍だから”・・・。 「何故・・・」 代わりに神無は尋ねた。 「“忍”であること・・・と言った?」 そう、喜無のその一言は非常に引っ掛かった。 「何故って・・・」 すると彼女は目を細めて一息つくと答えた。 「貴方が・・・子供を身篭っていたから、かしら・・・」 不確かそうな声と誤魔化すような語尾の笑う感じ。普段の自信高き笑みとは反対な喜無の口調に気づき神無は振り向いた。彼女の目は不安、とはまた違った、どこか哀しみや嫉妬の様なものであった。しばらく神無のことを見つめていた彼女は、神無の視線に気付くと顔を修行場の方へと逸らした。 「貴方の子供・・・」彼女は調子を取り戻して話題を変えた。 「名前が決まったそうよ。」 神無も静かに修行場へと顔を逸らした。喜無はちらっと神無の横顔を見て続けた。 「愛無・・・」 二人の間に風が吹いた。丁度冬を迎える秋で、枯れた木の葉が寂しげに舞う中、二人はしばらく沈黙した。その名前の意味を考えていたのだろうか。 「望まれて生まれた子じゃないでしょうけど・・・まぁ、私達は皆そうでしょうけど・・・」 里に子が生まれるのは任務か訓練の過程による。喜無は短くそろえた髪を撫でるとつぶやいた。 「忍であろうとも、私達は飽くまで人よ。」 神無は後で知ったことだが、喜無も愛無と同じ境遇で生まれたのだった。 「私が何故魅力的かわかる?」 彼女は問うた。 「何故貴方が魅力的かわかる?」 彼女は自信げに、しかし優しさをこめた言葉で問うた。 喜無はたしかに神無にとって魅力的だった。彼女をきっかけに髪を伸ばした。皮肉を言い出し始め、彼女のような自信気で達者な口調を、自分の自信や心の自己表現として使うようになった。おかげで無口よりも口数も増えた。どこか、自分の中で彼女を目指していたのだった。しかし何故だろう。その疑問に対しては・・・あまり考えたことがなかった。否、考えようとしたことがなかった。 彼女は方法がわからず悩む子供を諭すように答えた。 「それは私が、貴方の持たない物を、貴方が私の持たない物を持っているからよ。」 今考え直してみて神無は思う。自分は喜無の何を求めていたのだろう・・・。 そして・・・何故自分は自分が求めているものや、疑問に対し正面から受け止めようとしなかったのだろうか・・・。 ―冬月亭― 神無は湯船に漬かった。 名無しを先に逃した。斬に対し死の恐怖を覚えた。そしてここ数日間は追憶にふけっている。急激に考えることが一気に押し寄せるようで、今まで二十年余生きてきて考えることを怠ってきた神無にとっては少々気重であった。何故今まで考えようとしなかったのだろう。 刻は既に遅く、湯に浸かる者は今のところ誰もいない。神無は常に丑の刻に湯に浸かる。以前は少し早めだったものの、皐月との遭遇を避けて遅くした。忍である性だろうか、独りで入る癖が未だにある。ここは大きな温泉だ。故に同時に何人か人が湯に浸かり言葉を交わす場でもある。が、神無はそれを拒む。それは他者に自分を表現することへの拒絶だろうか。 何故だろう。そう考え始め、神無は頭を一旦水に入れた。せっかく息抜きの湯だというのにいちいち考え出してしまっては切りがない。頭を出し、解いた髪を撫でる。喜無が良く髪を撫でていた。喜無はどうしているのだろうか。生き延びたのだろうか、里を襲ったあの裏切りの業火と虐殺の刃から。今さらになって喜無のことが気になった。 と、そのとき、水が囁く音が聞こえた。誰かが湯に入ってきた。このような刻に、と神無は思いつつ、岩陰から様子を覗った。最後の月を控え、本格的な寒さと湯の熱さによって漂う湯気の間に、神無は水面に垂れ浮く美しい青き長髪を観た。 「(水無月・・・)」 神無は相手を確認すると、音を立てずにそのまま岩にもたれて休んだ。するとかすかな鳥の鳴き声しか聞こえない静寂の中、水無月の啜り泣きが聞こえてきた。神無は空を見上げ聞いた。その泣き声を、彼女は知っていた。紛れもない、彼女自身が上げた泣き声。役目のために死ぬこととなった、自分のために戻らなくなった者への、どうすることもできない自分に対する悲願。 「神無・・・」 この場に長く居座ればそれだけ過去を振り返ってしまいそうで、息抜きもしていられないと思いそっと風呂場を後にしようとしたそのとき、神無は水無月に呼び止められた。神無は黙って止まる。 「お主・・・お主が、最後に名無しと共にいたのだな」水無月は啜り泣きを堪えて尋ねた。神無は黙って聞く。 「名無しは・・・何故戻ってきた・・・?名無しは何か・・・言っていなかったか・・・?」 「(伝えそこなったか・・・)」 神無はうつむいた。そこには自分の顔が水面に映し出されている。 「(私は名無しに自分を重ね観ていた)」 無残な姿の娘と惨めな自分の姿を思い出す。伝えそこなった自分。 「水無月・・・」神無は顔を水無月へと向け尋ねた。 「何のためにあの小娘の忍と闘った?」 話には聞いている。水無月と燕が闘ったということを。 「・・・」 水無月はしばらく黙り込んでしまった。神無はただ黙って見据える。 「(何故私は・・・)」 水無月は心の中で問うた。だが未だにわからない。 「私と・・・名無しの誇りのためだ・・・!」 歯を噛み締めながら水無月は答えた。 「(そうか・・・そういうことか)」 神無の考えを縛り付けていた鎖が解けた。 「(“忍だから”・・・)」 肩が震える水無月の背を見据えながら、神無は笑みを作った。 「(今更・・・。)誇りのため?」 はっきりした、皮肉の声で言った。 「貴様の誇りは、単なる“飾り”だ。」 そう言われて水無月が黙っているはずがない。彼女は凄い勢いで振り返る。 「なっ・・・!!」 だがそんなことで神無は怯まない。 「そんなものでいつまでも取り繕って・・・強がっているから・・・貴様の想いは伝わらない。」神無はしっかりと目を逸らさなかった。 「(今更嫌われることくらい・・・)」 「忍・・・忍風情に・・・!」悔しいという形相で睨む水無月。「誇り無き貴様に何がわかる・・・!?」 “忍”だから 「“忍”・・・」 神無はあざ笑う。 「そんな物・・・私にとっては単なる“飾り”だ。貴様の“誇り”と同じ・・・。私を縛り付けるだけの物。」 神無はそれだけ言って出口へと歩を進めていった。悔しがり震える水無月へと振り返り、一言残す。 「名無しも・・・“忍”だろうが。」 「!」 戸が閉まり神無のいなくなった無人の湯で、水無月は跪き、また泣き始めた。 ―秋月亭・九日後― 光邑生町での死闘から九日が経た。一同は無事、第二の拠点となる秋月亭に移動していた。移動が終わった翌日の朝、師走が一人お茶を飲んでいると、障子が開き、神無が現れた。 「ほう・・・」 師走はうなずき言う。 「今朝はやけに、勇ましいな。」 いつもの神無とは目が違う。曇り無き、決意を記した目。 「師走。話がある。」 一刻後。文月の部屋の障子が開いた。 「文月は・・・いないのか?」 神無は入ると、彼女に面して正座している少女達に尋ねた。 「おじ様は只今いらっしゃいませんが、」 髪を青く染めた、背が高い方の少女が笑顔で答えた。 「おじ様に何か御用でして?」 「まあな・・・」 警戒するような目つきで神無は言った。侮れない、侮れない文月の部屋で堂々と机の前に正座している二人の少女。 「良かったらお座りになって。」 笑って青髪の少女が言った。 「おじ様の代わりに話だけでも聞かせて頂けますぅ?ほら、お茶でもどうぞ。」 そう言って少女は机の上にある茶碗を一つとってお茶を注いだ。 「遠慮しておく」 神無は文月がいない以上すぐでも後にしようと思ったが、白髪の小さな少女が彼女の手を引いた。少女は愛無とは対照的な、楽しむことを欲して堪らない笑顔をしている。 「座れ、座れ〜♪」 少女は跳ねながら腕を引く。神無がどうしようか考えていると少女は神無の手を引っ張り、神無はそれにつられて机を挟んで青髪の少女と対面する形で座り込むこととなった。しかし、気のせいだろうか、白髪の少女の引く力は並み半端じゃなかった気がする。それこそ、引かれたというくらい。 「あははは♪」 少女は何が可笑しいのか、笑っている。 「で、おじ様に何か?」 青髪の少女が尋ねた。 「奴に頼みたいことがある。奴だからこそ、頼みたいことが。」 神無は真剣な顔で告げた。 「まあまあ、」 少女は楽しそうに笑って手を差し出した。 「せっかくですの。私のために、お茶を御飲みになって。」 手を差し出されて、神無はしぶしぶ茶碗を手にした。それを眺める神無を少女は手を動かして勧める。 「さぁさぁ、遠慮せず。御飲みになって。」 神無は少量お茶を口へと運び、話を続ける。 「おじ様だからこそ頼みたいことですって・・・殺しでしたら私達でもお構いないですわ。むしろ、喜んでお受けしますわよ。」 何の曇りもない笑顔で少女は笑う。だがそれが殺すことに対してである以上、それは不吉な笑み以外の何でもないととれる。神無はやはり相手が只者ではないと納得する。 「いや、殺しではない」 神無ははっきりと答えた。 「敵が奴等だから、そう文月自身言っていた。敵は文月を恐れている。」 「奴等?」 「ねぇねぇ、お姉ちゃん!」 白髪の少女が青髪の少女を姉と呼び腕を叩きながら尋ねる。 「奴等って?」 「もしかして、」 少女は天井を見上げてつぶやいた。 「黒薙屋様を殺した方々かしら?」 「黒薙屋・・・」 神無はその言葉をつぶやいた。業火に向かって佇む喜無を思い出す。 「貴方、御子はお持ちになって?」 青髪の少女が尋ねた。神無は答えなかった。が、一瞬目に動揺が表れてしまった。 「いえ、そのですね、貴方が現れるまで妹と話していたんですよ、私達の両親について。いえ、」 彼女はそこまで言って訂正を入れるように“いえ”と区切った。 「両親と呼んでやるのが勿体無いくらいの下衆でしたわ。」 すがすがしいくらいの笑顔で彼女はあっさりと言ってみせる。その一言は“母親”である神無にも、気に障った。 「産むだけ産んで、」 「かす、かすぅ〜!」 妹の方が楽しそうに叫ぶ。 「育てるだけ育てて、」 「ゴミだよね、ゴミ!」 白髪の少女はまるで新しく覚えた言葉の意味を披露して自負する子供の姿。 「借金だけ残して後は勝手に極楽浄土ですって・・・そんなもの、あるわけないのに。何も親らしいことはしてくれませんの〜。あの下種共のせいで私達、死んだかもしれなかったですわ。」 相変わらず言っていることと表情が支離滅裂と言える。何の悩みも怒りもないすっきりした笑顔で言うようなことではないと思える。 「せめて、ね、」 彼女はそう言って妹と顔を合わせる。 「私達に殺されるくらいしてほしかったわよね〜」 「親を恨むか、」 神無は尋ねた。 「不甲斐無い親を?」 それは半分、娘に対して向けられた質問だったかもしれない。彼女を死に追いやったのは自分なのかと。 「恨む?恨んだところで何も手に入りませんわ。」 少女は答えた。 「それなら、奪って苦しめて殺して、楽しんだ方がお得ですわ。」 ほとんど答えになってない、神無にとっては。これ以上目の前の少女と話していては気を悪くしそうだ、そう思って彼女は立ち上がろうとした。が、机についた両手に力が入らない。 「なっ・・・!」 「わーい、やっと効いてきた♪」 白髪の少女が喜んだ。 「貴様っ・・・まさか!」 「今日で何人目かしら?五人目?」 青髪の少女は可笑しそうに笑った。白髪の少女が先程可笑しそうに笑ったのはこのことだったのだ。神無は何とか踏ん張って膝を持ち上げた。お茶は少量しか飲んでいない。が、すると青髪の少女の裾から鎖が跳び出し、神無の手首を縛って机の上にへと引き倒した。 「くぅっ・・・あっ!!」 神無はうつぶせに机の上に倒れた。机の角に当たり、百舌に斬られた傷口が傷む。 「ぐぅっ・・・くっ!」 「おーばーさん♪」 そう言って白髪の少女は机の上に足を乗せ、もう片足を振り上げた。 「お姉ちゃん、いい??」 そう尋ねると青髪の少女はうなずいて答えた。 「いいわよ。この人、簡単には根を上げないでしょうから、楽しめそうじゃない〜。」 それを合図に、神無を少女は足蹴にし始める。角に当たった傷は次第に開き始め、血が滲み出る。 「あら、いけない」 そう言って青髪の少女はお茶を神無の顔へとこぼした。 「貴様っ・・・!」 神無は睨んだ。“人”として、許せない、この二人を。そのときだった。 「いい加減にしなさい!」 十字槍が開いたままの障子から突きつけられた。十字の刃はそれぞれ姉妹へと向く。 「これ以上の仕打ち、黙って見過ごすわけにはいきません。」 そう言って卯月は神無へと声を掛ける。 「神無殿、ご無事でしょうか?」 「あら、病人が、妹にそんなもの向けないで下さらない?それとも、貴方もご一緒になりませか?」 「ふざけるでない、少女よ。私は最後まで私として生きると決めた身。例え病の身であろうとも、“自分”としての道を踏み外すつもりはない!」 卯月は真剣に、怒った顔で叫んだ。 「別に、私達ではなく、彼女とご一緒してはと思っただけですのよ。」 少女は微笑んで腕を伸ばした。 「そこまでだ」 部屋の中で聞こえた声の中で、最も一同の注目を引く、最も威圧のある声。少女たちの後ろの障子がいつの間にか開いておりそこに文月は立っていた。 「弥生、俺の部屋をこれ以上汚すな。」 「ふっきー!ふっきー!」 「あら、いけません。お許しを、おじ様。」 全く謝罪しているとは思えない変わらぬ笑顔。 「で、貴様らが一体何の用だ?」 文月は改まって神無と卯月に尋ねた。
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